杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

生かされ生きている

あいついるからあいつは呼べないとか

あいつはあっち側の人間だからだとか

そういうの嫌い

視野が狭いとそういう思考になって

いないところで悪口を言って味方を増やすとか

相手が悪くて自分が被害者

そういうの嫌い

 

人間誰もが誰とでも仲良くはできない

それでも学校でも職場でも嫌な奴とも過ごさなきゃいけないって学んでる

それなりに長い時間

大人になって自由な時間であれば

そんなんほぼ一瞬で済ませられるのに

同じ空間で同じ空気吸うのが嫌でも死にはしない

視界に入れたって死にはしない

親族殺されたとかって事情があるなら話は別だけど

一個人同士のいざこざで周りが気を遣う時間は生きてく上でもったいない

一個人同士も周りも

一喜一憂は人間の素直な反応

俺は一喜一憂する傾向が強いって思った

許容範囲を広げていちいち無駄に一喜一憂する事はやめていけたらと思う

期待するからいけないんだとよく言われる

自覚は無いけどきっとそうなんだろう

いつの間にか最低限以上を期待してしまってるからガックリする

期待は悪い事じゃなくて言い換えれば信用

だから信じてたのに裏切られたって気持ちになる

つまんないはつまんない

色々妄想やら想像やらする人間だから

でもそれで自分が自分を憎んで保てなくなってしまうくらいなら

何事にも一喜一憂してる場合じゃないなと思った

今の自分はその段階にいない

もっと潔く謙虚でいなければならない

当たり前に戻ってきた事一つ一つを見返して

感謝しなければならない人がたくさんいる

 

今じゃラーメン食べたいなんて思うけど

八戸戻ってきた時はしばらく米粒一つが食べれなかった

それでもそれを変えてくれた人達がいて

食事のありがたみを思い出させてくれた

 

寒くなってきてシャワー浴びたくないなって思うけど

数年前は滝つぼか川の淀みで身体を流していた

冷たいとか言ってたら不衛生になる一方で

寒いと叫んだって誰にも聞こえない場所にいた

 

着るものも気温に合わせたり気分に合わせる事ができる

しかも綺麗に洗濯されたものを着れる

湧き水と石で踏み洗いして

木の枝や車のドアに引っ掛けて天日干し

ヨレヨレの砂まみれでもそれを着るしかなかった

 

佐渡のホテルで働いた後

その給料が入るまで好きに動けないから

馴染みの川沿いで生活を始めた

まだ9月の中旬

半月くらい余裕だと思ってた

 

しかしあそこから八戸まで戻ってこれたのは大袈裟かもしれないけど奇跡だと思う

 一応、事情を話してしばらく川沿いにいる許可は国交省から貰えたんだ

そこで小松菜とかミニトマトを育てながら釣った川魚を主食にして平気で暮らせてた

衣食住に多少困る時があるくらい

ただ電柱に車ぶつけたのが原因で警察と自治体が動いて最後は保護される形で施設に入れられた

全国から来てる訳アリな人達

本来は他に行く場所がある人もいて

親族達の手に負えなくなってそこに預けられたもんだから

暴力や窃盗が当たり前

スマホは盗まれるしタバコも全部取られるし抵抗すれば殴る蹴るが普通

生きてる実感を失った

いつまで続くかわからない毎日

釣り竿もギターも無い

このまま無になって息してるくらいなら死ぬべきか本気で悩んだ

日中は見回りや駐在してる職員がいて

社会復帰の為のレクみたいなのやって

夜は職員がいなくて毎晩無法地帯と化す

他の部屋からドッタンバッタンと殴り合う音

さらに他の部屋から罵声と女の激しい声

誰にも見付からないように毛布に包まって息を殺して耳を塞いで夜を明かしてた

恐怖よりも関わりたくなかった

虚無感の塊になって2ヶ月ちょい

ある日職員らが日中に急用ができたと言って出ていった

一か八か

そこからは記憶が曖昧

 

ポリタンクに汲んでいた湧き水、生地(いくじ)の水

あれだけで何日もしのげた

あれは命の水

そして気付けば八戸の海を眺めてた

今頃騒ぎになってて捜索されて連れ戻されるんじゃないかっていう焦りと

もうここまで来れば大丈夫だろっていう安易な気持ちと

気付いたら雪の降ってない地べたに大の字になってどうでも良くなってた

12月の晴れた寒空の下

逃走に成功した

 

あれから何回目だろう?

3回目か4回目の12月が来る

あんな場所でも学ぶ事はあって

それまで見聞きしたり出会ったりして知ってきてたよりもさらに色んな人、好きだ嫌いだのレベルで判断できないような人間、そんな日本人も外国人も今どこかで生きてるって事を知れた

日本で細々と一人暮らししてた頃の自分は質素だけど恵まれていてあいつがこいつが言いながらめちゃくちゃ狭い視野の中で生きていた事を知れた

 

悪口は言えば言っただけ同じように言われてると思えば良い

自然と陰で騒ぐ事が無くなる

生きてる事は当たり前じゃなくて

人は誰かに生かされて生きていられる