杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

海よ魚よ人間よ

釣りたい気持ちとそこに行きたい気持ち。

 

行きたい気持ちの方が遥かに強い事を思い知った。

 

 

 

また一つ、周辺のポイントが消えた。

もう何回目だ?

目の前にできた障害を目の当たりにする度、歯を食いしばり、まだあの場所があるから大丈夫と、そう言い聞かせて鎮めてきた感情らが蘇ってきた。

 

とうとう、あの場所までも失った。最後の望みが絶たれた。己の中に刻み込まれている、偉大で揺るがない場所。

代わりの場所なんて無い。新しく探せば良いのはわかってるし、過去に実績のある場所に行けば良いのもわかってる。でも今はそんな気を失ってしまうくらい、衝撃が強過ぎる。

 

嫌な事も何もかも忘れられた場所。

誰の迷惑にもならずに居られた場所。

たくさん驚きと発見をくれた場所。

寄せて返す波と全身で対話できた場所。

 

自分にとって、居場所だと感じてた。海は誰のものでも無いのにね。

釣れた時はとても嬉しい、釣れなくても良い気分でまた来るからねって思える。

どうしても帰りたくなくて、そこで夜を明かし続けた時もあった。

見えるのは太陽と雲の青空、星に手が届きそうな夜空、波と風の音しか聞こえない一人の空間。時間。何にも代え難い一時をくれた。

 

 

 

俺は八戸で育ち、19年目にして、誘われてなんとなく始めた海での魚釣り。

魚の名前も、今どこで何が釣れるのか、どうすれば釣れるのか、これは何用の竿なのかもわからないまま、結び方も仕掛けの作り方も手探りで何度も失敗しながら覚えてきた。

逃した魚は大きい、その言葉通りだなって痛感しながら、結び方にもこだわって強力に、仕掛けやルアーも状況に応じて使い分けられるよう、より精巧に作るようになっていった。

 

近隣の釣具屋を巡り、釣りたい魚の話を持ちかけて聞くも、船の方が手っ取り早く、そもそも岸から釣る魚じゃないと言われて憤慨したり、落ち込んだりした。

そんなはずはないと、八戸周辺を南北に、歩き回って探した。

 

結果的に、一番近い館鼻の岸壁で釣れた。

それはヒラメ。

今日もダメだったなって、ぼんやりしてたら呆気なく釣れた。何かの間違いないじゃないかって、次の日も行くとまた釣れた。一ヶ月程通い、色んな仕掛けを試して、釣れたが釣ったになってった。そこに居れば釣れる確信を持った。

 

それまで歩き回ってきた場所の全てに可能性を感じて、検証する為に釣れるまでまた歩いた。岩や海藻だらけで釣りづらい場所、混み合っていて気疲れしてしまう場所、テトラポットに囲まれフルキャストできない場所、そういった不安要素が全く無い場所をいくつか見付けた。

念願叶ったと、時間帯、海況、風向きを伺いながら見付けた場所を転々と、ひっそり通い続けた。

 

 

そんな場所達が、一つ、また一つと、消えていった。

 

 

共有するのは悪い事じゃない。むしろ喜び合えるのは気持ちが良い。

それでも不特定多数に発信してしまえば必ず問題が発生する、前例しかないのに。

そうなれば入れなくするのが簡単で平等だろうと、封鎖措置をする県や国。見付けて消えてった場所を管理していたのは全て県の管轄だった。訴えかけても立入禁止の一点張りで理由も何も教えてくれなかった。

 

それでも無視してまで侵入する人間、前までは入れたとか、他の人も入ってるじゃないかとか言って正当化しようとする人間。

なにが平等クソ喰らえだと、自分の心が小さくなっていくのを感じた。

そういったものを見てしまう度に、同じ釣り人である以上、どこにも強く訴えられなくなっていった。

 

今回は本当に念を込めて、断腸の思いで訴えかけたところ、県や管理者では無く現地で作業をする、要は関係者の方が実際に動いてくれ、訴えを管理者へ直接届けてくれた。

そこで封鎖に至った正当な理由、明確な回答を得られ、ようやく受け入れる決心ができた。

個人の勝手な思い入れにも関わらず、真摯に対応、そして回答して下さり、本当に感謝。まだ苦しいけど、しっかり受け入れる。

 

どうか侵入するような人間が一人も現れないように願う。本物の平等を願う。

これまで見てきた吐き気がするような映像がチラついてしまうから、信用できないけど、願う。

ほらね。って、なりませんように。ただそれだけ。

 

 

せっかく楽しみに行くのに、気疲れするのが一番嫌な事。だから釣りづらくてもそれを面白いと思えるように、そしてまだ踏み込んだ事の無い場所へ行って楽しめるように、まだこの身体が動けるうちに動こうと思う。

 

マナーとか、モラルとか、俺も明確に理解していない。その地域の暗黙のルールみたいなものがあると更に曖昧になってしまう。

一つだけ確かに理解してるのは、ゴミを捨てたらいけないという事。

缶コーヒー飲み終わったらポイ捨て。タバコを吸い終わったらポイ捨て。

袋にゴミを詰め、それをわざわざ結んで、そこまでできるのに何故、その場に置いていく?何故、それを海へ投げ捨てる?

見たくないものを見ると気が滅入る。みんな、そうじゃないの?って、いちいち考え出す自分に本当に疲れる。

 

指摘すれば激怒されて、なんかバカみたいだって思う。

車に乗って制限速度で普通に走ってても、煽られて、なんか急いでるのかな?申し訳ないと思いながら走ってても、追い越され際に暴言吐かれたら、やっぱりなんかバカみたいだってなる。

 

最低限、他の人の迷惑にならないようにと、守っている側の人間が嫌な気持ちになる仕組み、どうにかならないか。ならないよな。完全に個人の意識の問題だもん。

 

そんな生き急いでたら、死んじゃうよ。

いや、図太く我先にと生きてる方が生き残るのか。

人間も社会とか組織とか、色々やってるけど、結局は弱肉強食か。

 

 

もう、おとなしく海底で毎日ボーっとしてたい。

 

ヒラメをずっと探してたのは、釣りたいんじゃなくて、なりたかったからなのかな。