杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

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静まり返った夜中の空、星が綺麗だ。

 

ベランダに座ってタバコを吸っている。吐いた煙が雲みたい。火玉が蛍みたい。

 

今日の日中はあったかかったけど、夜になったら吐息が白い。今、寒いのかわからない。

 

オリオン座が右上に見える。左上の赤いやつが確かベテルギウスだったっけか。

こうやって何となく覚えてるような、忘れてるような、曖昧な記憶。

はっきり覚えてる嫌だった事もこんな風になったらな。

 

あ、やっぱ寒い気がしてきた。布団に入ろう。雨風しのげて布団に寝れる、それはありがたいことだ。これが普通じゃなくなってた時、どうかもう一度で良いからって寒空に願ったのを覚えてる。

 

叶ってる。

ぴこも魚もそばにいてくれてる。

 

すごいことだ。

 

なんでもないこと

白いご飯。

 

日本人なら当たり前、毎日の白いご飯。それがしばらく食べれなかった。目の前にあるのに、口に運ぶことができないでいた。

 

 

それが今日、久々に食べれた。

 

ただそれだけのこと。

当たり前だったことができなくなる虚しさ、老化現象もきっとこんな感覚なんだろうな。

 

老化してる気はしてない。でも時々現れてきてる。

白髪なんて生えたことなかったし、文字が霞んで見えることもなかった。

それでも老化してる気はしてない。

 

水道水にはもう慣れた。

でも、生地の水が飲みたい。今も思う、あれは命の水。

 

生き返りたい。

 

ポケットモンスター、縮めてポケモン。

ポケモンマスターと呼ばれ、からかわれた時もあった。

初めて赤緑をあのゲームボーイでプレイしたのは小学四年の時。とても鮮明に覚えている。読書委員会という名目で、図書室の本を図書室で読むという一時限、六年生の仲良い先輩が攻略本の151匹図鑑を持ってきていて、俺はそれを読んでたちまち興味を持った。

捕まえる?戦わせる?なんだこれはと、試しに借りてプレイしたら愛着が湧いてしまって、返せと言われて家出したが見付かり泣きながら返した。

当時そろばんを習っていた俺は、もし次の試験に合格したらどうしても買って欲しいと無理を言って、婆ちゃんに買ってもらった。

ポケモントレーナーの設定は10歳か11歳らしい。当時は知らなかったが、それを知った時、自分も11歳になった頃だったなと、何か運命的なものを感じ、さらに深みにハマっていった。

リザードンはLv46でかえんほうしゃを覚える。

エレブーにタカギブーとニックネームをつけてみる。

どうぐの7番目でLv100にできる裏技。

どうぐの14番目でのミュウの裏技。

コロコロコミック限定企画で手に入った青バージョン。

最初の三匹全部手に入ってしまうピカチュウバージョン。

続編の金銀が発売延期になった待ちきれなさ。

 

好きだった子が四天王を倒せないって言うから、じゃあ俺がやっつける!って緊張しながらバラ公園で一緒に遊んだ。

 

中学も、高校も、社会人になってもポケットモンスターをプレイしていた。

俺はリザードン派で、カメックス派だと話すあいつと仲良くなった。

ポケモンなんて興味ないって、それをひっくり返して引き込んだ方。

 

オメガルビーアルファサファイアまで現役でプレイしてきたが、途中でやめた。

インターネットで攻略法や進化方法や覚えるレベルまでも全てがすぐに調べられる。

強さも数値で決まる。それはわかっていても、頑なに情報を遮断しながら、自分を画面に投影しながらプレイしてきた。何だコレっていう驚きや迷い、それを純粋に楽しんできた。インターネットを通じて知らないプレイヤーと戦ったらコテンパンにされるばかり。研究されたデータを基本に厳選、育成された方々には到底勝てなかった。

そりゃそうだよなって考えたら、急につまらなくなって、やめた。

どこにあるんだろう?どこに出現するんだろう?どっちに進むんだろう?

一ヶ月かけてクリアする自分と、情報を効率的に利用して一日足らずで攻略してしまう方々。どこか劣等感のような虚しさを感じながらも、新しいシリーズをプレイしてきた。

そんな積もっていたものが爆発して、ある時を境に突然冷めてしまった。

 

そう、これはあくまでゲームなんだと。

新しいバージョンが出て、その度に自分を投影して、新しい世界を見て感じる。ある意味本気でやっていて、いつまでもそうやって浸ってる自分って…と、そう思ってしまった。

 

 

 

 

俺はポケモンマスターじゃない。プレイヤーだ。

強くないし詳しくもない。でも本気でその世界に自分を投影する。それは11歳の頃から変わらない。

進めばその先に何があるかわからない。だから不安にもなる。道に迷って悩んだりもする。

でもそれで良い、それが良いんだって思った。楽しみ方は人それぞれ、自分が面白いようにやったら良いんだってようやく思い直せた。

 

 

何気なく部屋を片付けていたら見付けたホワイトブラックの予約特典のクリアファイル。

売っぱらおうとしてた3DSとソフト達。

ホワイトを選び、過去のデータを消去し、新たに第一歩を踏み出した。もう頭の中にはざっくりとしたストーリーしか覚えていない。ホワイトっていうタイトル通り、頭の中真っ白に、純粋に、とにかく思った通りにやったら、実に面白い。発見がたくさんある世界だ。

 

天井ばっか見てため息ついてる自分が忘れていたもの。

どれだけシリーズが変わって、もはや追い付けない世界に変わって行ってても、それでも良い。曖昧な記憶で、手持ちのシリーズを全部最初からやってみようと思う。

そうすれば現実のこの世界でも何か変えられるかもしれない。わからないけど、やってみなきゃ何も変わらないままだ。

 

 

行こう、ツタージャ

霊冷零

帰り道、しとしとと小雨が降っていた。

三年前とは違う季節、同じ場面にいた。

 

もう吸うことも吐くことも無い。だから、どうか熱が冷めてしまう前にと願った。フラッシュバックっていう現象だろうか?

繰り返したくない。温もりが消えてしまうのが嫌、ただその一心だった。

 

悲しみがやってくるのは、記憶を思い出してしまうから。美化されたこと、そうならなかったこと、なんでもないこと。積み重なった思い出の場面、そこにいた存在を思い返せば人はどうも悲しくなってしまう。二度と戻れないのをわかっていても、記憶はそうさせる。

 

気持ちが収まらない悲しみ。でもそれは過去を振り返っての感情。その感情で溢れているうちは何もできなくなるのは自分もそう。だから無になる術を覚えた。力ずくで感情を抑え込む、または殺すよう訓練をした。どっちにしても一時的なものにしかならないんだけど。周りが落ち着いた頃に突然、頭が砕け散るような、うまく表現できない感情がやってくる。悲しいのか苦しいのか何なのかわからなくて、ひたすら嗚咽する日がやってくる。泣きたい時、泣くべき時に泣けたなら、涙を流しておけたならどれだけ楽だろうと思う。

しかしそこで悲しみに飲まれたら自分は全てが衝動的になってしまう。無理してでもそうしないと自分を保てない。だから無理を無理じゃないものにして生きてる。

 

時が流れればこの一秒、一分、一時間、一日、一ヶ月、一年と、全てが過去になってく。

大切な人を失えばツラい。ツラ過ぎる。でもそれは自分だけじゃないかもしれない。だから自分は、自分のようにすぐ心が裂けてしまいそうな人を見極められるように、その場での自分は冷静でいなければならないと、勝手にそうしてる。これまでの罪滅ぼしじゃないけど、もう誰も壊れて欲しくないと思うから。

 

できれば見届けたい。それができないなら冷たくなってしまう前に、確かに生きた命の証、温もりを感じたい。もうどこも動かない物体になっていたとしても、それを感じられるか感じられないかで大きく変わる。その時の思い出が。

 

 

人生お疲れ様と、労ってあげる。

苦労ばかりなのになぜ生きるか、命が宿ったその瞬間に終わりが決まり始まるのに、なぜそれでも喜ぶのか。

人間だけじゃない。他の生命体も生まれたら死ぬ。寿命は違えど平等に、生まれてきては死ぬを繰り返す。本能で子孫を残そうとする。なぜ?って、その意味はどれだけ考えてもわからない。

 

生き物を飼育するのが好き。幼い頃から今に至るまでずっとそう。

昔はほとんど虫。今は魚や植物。

虫も魚も、その一生は自分よりは短かかった。親が死んでも子が生き残り、親になってまた子を生んでって、途切れない命というものを見ながら自分は生きてきた。

命の宿った卵を産み付け、その命は生まれても死んでいく。今でもそれに一喜一憂する。

 

日が昇るとセミが鳴き、日が暮れるとホタルが光る。

共にいつか必ずと、セミは真っ暗い地中で何年も過ごし、地表に出て思いっきり鳴く。ホタルは水中で巻貝のみ食い漁り、空中に出れば水しか口にせず、思いっきり光る。せっかく大人になったのに、鳴くのも光るのもどっちも子孫を残す為。一日たりとも妥協してないのが伝わる。これが必死ってやつなんだって教わった。

 

魚は水中で一生を過ごす。自分の飼育してる魚は鳴きも光りもしない。それでもこの人間の作った限りある範囲と環境の中で生きてくれる。水中の快適ってどんなだろう?と、常に考えさせてくれる。目や行動からすべき事を察しなければならない。種類によって好む水質が違い、性格も一匹一匹で違う。基本的な傾向や飼育方法はあるものの、絶対に正しいというものは未だに確立されてない。より、考えさせてくれる。

植物は、自分よりずっとずっと前に生まれて自分よりずっと長く生きるものもあれば、一年で一生を終えるを繰り返すものもいて、その生命力に無限を感じてしまう。杉の木のように1000年以上生きてしまうもの、種を蒔けば綺麗な花を咲かせて、その年のうちに枯れて種を作り、また翌年もと繰り返すもの。水草なのに水中から陸上に達すれば適応して大きく姿形を変えてしまうもの。植物無くして動物は成り立たないと思ってしまう。教わる事が大き過ぎてよくわからくなってくる。

 

 

 

命って、なんだろう?

なんか記事にしてたらもう、わかんなくなってきた。

どこか出歩くにしても何か食べるにしても、多くの命を犠牲にしてる事は確か。

人間という生き物は、食ってばっかで食われる事は無い。

 

 

人間に限らず、命には必ずドラマがある。それを忘れなければ悩み苦しんでいても感謝しながら死ぬまで生き続けられる。

 

身体も思うようにならない、迷惑かけてしまって申し訳ない、それでも最後の限界まで生きて、とにかく苦しかったと察してる。

でももう死んだ以上、身体が動かなくなって燃やされて骨になっても、痛いも熱いも無い。

 

楽になったよ。もうどこにでも好きなとこに行けるよ。だからもうその動かない身体を見て悲しまないでって、そう伝えたいのに言葉にして言える身体はもう失ってしまった。

あれだけ苦しんでたんだ、楽になったんじゃないか?って昔の思い出話でもしながら泣き笑いしてくれたらこのモヤモヤが消えて嬉しいんだけどな。たまに夢に遊びに行くよ。元気だったあの頃の姿でね。

 

 

 

そう、見えた。

 

けろんぱ

うちの金魚の卵から三月に孵化したうちの一匹を、いつからかけろんぱと呼んでいる。

 

みんなミジンコみたくちっちゃくて、ようやく魚っぽくなった時、みんな灰色だったのに、今ではもう白やオレンジに色付いて金魚らしい姿形になってる。背鰭の無いらんちゅう、丸っこい琉金、見慣れた和金、様々な金魚ミックスが日々育っていく。

その中でまだ灰色のまま、小さいまま一生懸命泳ぐ子が一匹いる。けろんぱ。

なんでこう呼んでるのか自分でもわからない。でもけろんぱ。このままじゃ大きく育ってきた金魚に食べられてしまうかもしれない。失いたくないのに、隔離しようとは思わない。何でだろう。自分に重ねて、自分の代わりに水中を泳いでくれてるような、そんな事を考えながら毎日アイコンタクトしてる。

 

 

この先自分がどうなっていくのか、わからない。

けろんぱも同じ。

食うか食われるか、やるかやられるかの中で共に生きてる。

 

 

色んな事に気付いた。

これまで首を傾げてきた事、わからないまま生きて、自分の素直な感情というものをいかに自分でかき消していたか知った。そしたら数々の出来事や意味不明だった行動の真意がわかった。繋がった。

 

 

現状は厳しい。

何をするにも制限がある。そんなんどうでも良いからと無鉄砲になってしまえば、更なる制限が加えられるだけ。勢い任せでどうにかなる事じゃない。慎重に、そして繊細に、薄い氷の上を歩けるか確かめながら進まないといけない。もちろん進めない事も有り得る。その可能性を承知、受け入れなければならない。

 

今の自分じゃ話にもならない。一方的な口だけ人間。必要なものが伴っていない。

どうすれば良いだろうって、考えて行動しなければならない。確かな自信を得なければならない。

ドラマは起きるものじゃなく、起こすもの。

 

晴天の霹靂(お米じゃないよ)

東向きのベランダで、ぴこと一緒に日光を浴びている。

道路沿い、車や人が行き来してる。車の走る音、クラクション、サイレン。

ノイズの中、時折スズメやカラスの声が聞こえる。ぴこもこの空、飛んでみたいよな。そしたら俺、ぶら下がるから連れてって欲しいな。でも重すぎるか。

 

外から見られないように水草を水上化させて、ベランダを目隠ししてる。誰の目も気にせず、のんびりと外の空気を吸い、空を見上げる事ができる唯一の場所。午前中しか日が当たらないから、昼からは布団に戻って横になって天井を見てるだけ。

いつもこのルーティン。このまま春も夏も、もうすぐ秋も終わって冬が来る。

 

体力無し、抵抗力無し、すぐ熱を出して寝込む。せっかく晴れてるのに動けない日は虚しい。昨日も晴れてるぞってベランダに出ようと右足をサンダルに乗せたら、ぎっくり腰。トイレに起き上がるのも、靴下ひとつ履くのも壁にもたれながら、やるせない。

 

病気って何だ。病は気から、なんだろ?

あくまで自分の性格がたまたま病気ってカテゴライズされてるだけだと思ってた。

しかし認めざるを得ない出来事が数多くあり、今もこうやって人目を避けて過ごす日々。

釣りでも音楽でも好きな事を、それができなければ散歩でもして気晴らしでもして体力付けなよって助言してもらっても、できない。やれるのはずなのに、やれない。それを、やらないだけの臆病者と自分が自分を責める。

 

罪悪感の塊だよ。

 

 

転機が迎えに来てくれるなんて思ってない。

自分から見付けなければならないってわかってる。

 

 

 

春先に発泡スチロールに植えたスイレンは、花を咲かせられないままとうとう枯れてきてしまった。

ごめんね。

 

 

今も世界中でコロナウイルスが蔓延してる。

それすら自分のせいなんじゃないかって思う時がある。そんなわけないのに、本気でそう思う時がある。自分でもよくわからない。

 

できてた事ができない。

でもそれを病気のせいと言い訳にしたくない。弱体化してようが身体は動くんだから。

きっと、きっかけ一つで何もかもが変えられる。自発的な行動ができた時に。

 

 

 

 

空がすごく青いなぁ。

ぴこがオサンポオサンポと喋りながら羽ばたいてる。こんな狭いケージの中で精一杯、喜んでる。それを俺は喜びながら、ごめんねとも思ってしまう。

 

 

 

太陽は見えるのに、明日はいつも暗闇。

もうそろそろこのベランダに日が当たらなくなる時間だ。

 

まだ早いけど、自分の中では夕日が沈んでいく、そんな気持ち。

鬼となれよ

断捨離を始めた。

 

使うか使わないかの二択のみ。

思い入れ関係無し、全て過去の物と冷徹にならないとできない。

何十年も大事にしてた紙切れや使い古した物は他人からすればゴミクズ同然。

俺は使わないけどまだ使える物はフリマで売っ払い少しでもカネへと変換する。

 

そんなに時間は無い。手っ取り早く片を付けなければ自分が崩壊するのはもう実証済みだ。

数年前と同じようにはなりたくない。

 

 

 

あれから年月が経ち少しずつ必要なものを揃えてきたがまたやり直しだ。

今改めて必要かどうか判断すれば、必要だったものも不要にできる。そうマインドコントロールしなければ先々の事が見えて来ない。見えるはずのないものばかりが見えて来る。

 

思い返して惜しむ前にゴミにして逃げる。

今自分にやれる事はこれ。

 

 

ぱっぱとやれ自分。