杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

混沌としたものと後悔の意味

今日は晴れ間が見えた。それだけで嬉しい。

 

意識はしっかりはっきりと、その中で濁ったものが真ん中で蠢いてる。60%空っぽ、40%考え過ぎ、今は空っぽが優勢でいるから、ツラく無い。今は。

 

普段気付かない事に気付いた時、どうしようってなる。見なかった事にしておくか、解決するまで向き合うか、人それぞれ。身を置いてる状況、環境、体調、天気、全ての要素を含んだら、人それぞれにならないわけが無い。正解がわからない。正解があるのかもわからない。選択肢に最善が無いのかもしれない。

なら、創造して、現実化して、選択肢に入れる。容易じゃないけど、やれない事じゃない。やってきたと言えば偉そうにしてる感じがして恐縮してしまうけど、実際簡単じゃなかったし諦めかけた事もたくさんあった。

でも、なんで諦めようとしたかを冷静に考え直した時、俺は自分よりも周りの目をいつも気にしていた。それに気付いてから、自分の本当の意志と向き合えるようになって、諦めかけてる事は本当に諦めるべき事なのか、改めて考えるようになった。自分の意志をしっかり片隅に置きながら考えて、行動して、振り返ってみてどう思ってるか、自問自答してきた。

 

結果が今になってる。

今となってはって事、本当に色んな事があった。普通が普通じゃない現実離れした時を生きてみて思うのは、先を見なきゃいけないけど、今を笑えてなきゃ先は迎えられない。

全てに余裕が無い者は。

余裕のある者は広い視野と豊富な選択肢に恵まれて、今後を生きるプランをしっかり立てられる。

 

不遇だとか、そのように言う気は無いし、思ってもいない。自分の選択の数々で今に至っているのだから、何も言い訳などしない。

 

つまらなくなって悲観に満たされ孤独を迎えた者は、みんな死んでく。俺は否定よりも肯定する。

ダメだよなんて無責任な事を言えない。その人の未来を明るく照らす現実的な力を持っていない。

そりゃそうだよなって思うし、もっと視野を広くと言われても悲観的になってしまうその問題が解決に向かわない限り、何を言われても自力ではどうしても思考をコントロールできない。

できるのにできなくなってる自分にもイラついて、本当に無力であると感じて、全身から全てが抜けていく。気力体力の無い抜け殻が横たわってるだけ。

 

三大欲求なんてとっくに感じられてない。

意識はしっかりするようになったが、変わらず惰性のまま。一週間寝ず、水さえ飲めれば容易に、衰弱もせず生きていられる。

人間って食べなきゃダメなの?寝なきゃダメなの?って思考が崩壊する時もある。

で、実際食べず寝ずでいると体調不良を起こす。だから食べて、寝てる。

食べて寝るの繰り返しは、罪悪感になっていく。働かざる者食うべからずという言葉に包まれて食欲が削ぎ減る。食べる事に対する罪悪感が増して悪循環に陥ってく。

 

 

生きるのは大変な事だ。

カネや異性に一喜一憂させられてくうちに、喜ぶべき事や悲しむべき事にすら刺激を受けなくなって麻痺していく。

それでも生きたいと願う者は生き続ける自覚を、死にたいと願う者は死んだ後の覚悟も持って皆、自分の人生を全うすべき。

 

誰しも後悔をしたくない

後悔だけはしないように

って、生きる。

 

でも悔やむか悔やまないか

実際には、事後にしかわからない事

 

だから後悔って言うんじゃないのか。