杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

日曜、雨

日曜日は世の休日。

混みあっている所に行けない自分は、部屋にこもって時間が過ぎるのを待つ。

 

 

雨。

自然災害は誰のせいでもない。人はそれをわかっている。だからこそ苛立ち、何かにつけて毒を吐く。雨さえ降らなきゃ大切な命を奪われずに済んだとか。だったら生まれて来なきゃ起こらなかった事。可哀想だとか、思わないというか、思えない。言うのは簡単だけど、本気でそう思ってるとは限らない。場の雰囲気や流れでその同情したかのような優しい言葉を選ぶ人間にはなりたくない。嘆いて嘆いて、嘆くばかりの人間を救えないのが現状で、起きてしまった事までも変える力なんて無い。

受け入れられない事実を受け入れてこれからどうしていくか、失ったものの大きさに関わらず、向き合わなければ何も変わらない。

 

信用していた人に騙されるのは辛い事だ。

なぜ騙した?そう考える。相手がヘラヘラとしてるのを想像しただけでもう、怒りと憎しみでいっぱいになる。

それがもし相手がわからない時、それらの感情には行き着く場が無い。どこの誰がどんな思いでそういう事をしたのか、どれだけ考えてみてもわかる時は来ない。怒りや憎しみより、虚しさが自己嫌悪になり、虚無感に陥る。

 

自分は、騙すつもりは今でも無い。

潔く生きる。そう決めた。けどそれが結果的に裏切るような形になった事を、どう償えば良いかわからない。これからどうするか、どうしたいかもわからないまま、一日を過ごしている。

 

一定の基準、決められた枠、平均。

それが法律。枠から一歩外れたら犯罪者、でも枠の中ギリギリでも外れなきゃ一般人。

 

きちんと枠内でギリギリの生活をしてる人がいて、枠内だとしてもそれってどうなん?って聞いても法には触れてないからって人を騙しながら好き勝手やってる人がいて、改めて人は皆平等だなんて嘘だと思う。

 

恵まれる、恵まれない、努力次第で変えられる部分もある。つまり変えられない部分もある。子は親を選べないとか。

 

なんでダメなの?あれはどうして違法なの?

どれだけ問いても、法律的にはって前置きされたら、何も言いたくなくなる。

法律に固執、洗脳された人の目を気にして生きるより、根本を見定めて自分の意思で生きてたい。国によって法律は全然違う。同じ人間なのに。

だから誰の危害にもならない瞬間があるなら、枠から外れるのが絶対に悪いとは思わない。社会的な生活をしっかり法の範囲内で行えばそれで良いと思う。

 

車来てないし・・渡っちゃえ!って、それって立派なルール違反だよね。

急いでるし・・100㎞出しちゃえ!も、あいつ嫌いだし・・殺しちゃえ!も、いわば信号無視と同じ事。法律違反。

極端な例えだけど。

 

見付かればアウト、見つからなきゃセーフ、要はバレなきゃ大丈夫って、きっとみんな他人事じゃ無いはず。

 

大きく呼吸しながら自由に動ける身体なのに、なんか動きづらい。そして息苦しい。

 

それを俺はもったいないと思う。

もちろん全てを守っていれば説得力や自信、それは大きいものになる。

でも、この決められた範囲内で生きなければならないっていう、この義務感と共に、ルールを守っていてアホらしいと思う事が多過ぎる。

 

好きな事をしたいって思ってたけど、揺らいでいる。カネが頭の片隅にいて没頭できなくなってる。

 

 

音楽。

ずっと浸っていたい。でも、今や視覚までも音楽の括りになっていて、便利なようで戸惑っている。それでも音が出るだけで楽しいものに変わりはない。時代を逆行して今、CDラジカセだけになったら、どうなるだろう?自分はもっと面白いことができると思ってる。自分の曲、誰かの曲、どっちも大切にしたい。

 

 

釣り。

絶対が存在しない水中の世界。その日の状況下で全てを選択、判断一つ、1本の糸と針で刺身が食べられる。魚は道具の値段や価値なんて知ったこっちゃないよ。今年も来たかなんて、季節の移り変わりを肌で感じられる。命懸けで釣れてくれた事に感謝、いただきますと心から言えてしまう。

 

 

喫煙。

そんなもん毒ガスだと、煙たがられる事もある。今じゃ加熱して有効成分を摂取できる。それでも、ライターで火を、吐き出す煙にため息を、短くなってく姿に自身を、そして自分でその火種を消す。そんな、自分の人生を重ねながら吸ってる。ニコチンが切れてやめれないとかじゃなく、自分の存在を確かめる為に必要で吸ってる。でももうすぐ買えなくなる日が来るんじゃないかって思ってる。

 

 

 

 

面白くしたいな。何もかも。