杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

手放す勇気

諦めない気持ちは強い

それでもこのままじゃ叶わない

いちいち一喜一憂していては

とてもじゃないが精神崩壊する

一つの事に集中していても

突拍子も無くトラブルが起きて

解決した頃には疲弊して

柔軟でマイペースになら何とかやれる

定めた目標は追い込まないと実現できない

それが自分で自分に与えた試練

回復してきてるという自信が欲しくて

もしそうなら次に向けて一心不乱にやれる

そう思ってた

それは過信だった

今そんな自分をまた責めている

もう大丈夫と思った時が危ないとわかってるのに

無茶をして振り出しに戻る

もう何度目なんだろう

気を遣うとは疲れるものだ

健常な時の何億倍

大袈裟かもしれないけどそれくらい果てしない疲れを感じる

毅然としていれば良い

それに付いて来れる人がいれば良い

そうは思っても独りよがりな話で

誰も付いてなんて来ない

付いて来れないんじゃなくて来ないっていうのが落とし穴で

付いてきてもらう為には自分ができる最大限をして求めなければならない

それでダメなら最初から無理な事なんだ

車で俺の後ろを付いて来いより

後ろを付いて行く方がなんだか気が楽だ

いつからなんだろう

行ける

やれる

それが行けるかな

やれるかな

そんな感じになってしまった

行くんだ

やるんだ

は一人でできる事

行こう

やろう

は誰かと成し遂げようとする事

つまんない人間になってるのは自分なのかなって思う

そう思ってる時点で目標は達成できないのかもしれない

昔できた事

今も全部できると思ってた

それは大きな勘違いで

一つ一つできなくなっていくのが自然なのかもしれない

受け入れたくないけど

何でも全部じゃなくて良い

いっぱいいっぱいになってる時に一つ手放すだけで

気持ちは楽になると思う

楽になるからといってあれもこれも手放すのは違うし嫌だけど

そういう選択の仕方もあるよなって今思う

一つだけ

手放してみようかな

今のこの切羽詰まった状況を変える為に

手放した分だけ余裕が生まれて少しでも穏やかになれるように

無理するなって言われても無理がわからないからどうしたら良いのかわからなかった

その無理っていう判断をする思考が無かった

何が無理なのか?無理って何なのか?

今少しわかった気がする

やれる以上の事を意地でもやってやる

こういうのが無理なんだと

そういうのを求めるのもまた同じ

無理をさせてしまうという事か

これらをやってのけてしまった人間を超人とか人間離れっていうんだろうな

周りにいれば触発される事もあっただろうけど

今はマイペースが一番だと実感してる

だからできない事から始めてみようかなって思う

元々できない事が少しずつできるようになったら嬉しいし楽しいんじゃないかって

昔はどうだったとか考える事も無い

悔しくて心が荒む事も無い

そういう方向性で生きていけばトゲは丸くなっていく気がする

毒も消えていってくれる気がする

完璧にこだわっても心は休まらない

失敗を面白いと思えれば無駄な繰り返しにはならない

余裕を持って楽しむ事から始めてみようかな