杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

このキマりきった日常

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

今年も全ての面で健康を取り戻すのが目標、杉浦剛です。どうか宜しくお願い致します。

きっとネガティブな事、たまにはポジティブな事、この場で少しでも表現できたらと思っている次第です。

 

 

早速だけど、自分にとっては何があけたのかよくわからない。

カウンドダウンしてボーン!

ってなった瞬間から魚と入れ替わって水中にいる。

 

カウンドダウンの先にあるものがそれぐらい  衝撃的なものだったら、もっと熱くなれるのかな。師走の最終日。

 

晦日、今年はみんな揃って迎える事はできなかったけど、生きていればいつかまたできる。

そう思っていられる今夜、眠ってしまう前に、ちゃんと投稿しなくては。

 

 

 

いつかに期待はしてないし、しない。

でもそこに希望を見い出して明日も生きようと思えたなら、明日が来ることを望む。

 

なんだか少しだけ、鼻の奥がじんわりと熱い。

呼吸ってものを実感したら、横になり、たくさんの事を考える。これは年始も年末も今の自分には休まる事が無い。それを休もうと思うのだから、相当ギリギリだったのだろう。精神的も体力的にも。

 

 

あの時こうしてればなっていう後悔はしたくないというか、しない。

それは結果論をそのまま己で消化して済ませれば良いだけの事。

 

今やってる事、それが後悔になるか喜びになるか、表か裏かの二択のゲーム。神様も自分も含め誰にもわかりやしない。

影に潜むように生活をこなし、それでも明日こそ何かやろうとしてる。

その繰り返しの毎日だ。

 

 

何が良くて何が悪いか、俺にはもうわからない。考え出したら動き上がる気力さえも奪っていく。

それでも、明日何があるんだろうかって先を見据えた毎日を送りたい。

 

今年はそう思っている。

その為に必要なもの、じっくり考えたい。

 

 

少し、疲れたみたいだよ。去年。

なかなかこれまでに無い時間を、考える事に費やした。2020年は本当に色々と得るもの、引き換えに失うものがたくさんあった。

 

今年も、はや数日が経ってるのに、まだ思考回路がうまく機能していない。夢が終われば、待っている現実から逃げてても時間の無駄。

どれから手をつけていいかわからない事、判断材料がまだ手元には無い。

それを自分から取りに行くには、必要なものがある。それは致命的リスクとなり得るもの。

一進一退の攻防にも疲れてるいたようだ。

 

一度、ゆっくりと休ませたい。

新しい新鮮な気持ちで、先が見通せるように。自分勝手でいいんだ。誰の迷惑にもならなければ。もしなってしまった時、初めて後悔をするんだろう。俺みたいな人間は。

 

それでも自分勝手のままでいい、そう思える今、きっと少しだけ自信ってものがあるんだろう。

 

何かを見い出す為に、良いも悪いも無い。

固執したものでそれを判断してはいけない。常にフラットで柔らかい頭で、受け止めてあげる。それを忘れないで信じたら、何か起こせるかもしれない。

可能性。

それを信じてあげられるように、自分の可能性という目には見えないものを、信じてあげられるようなマインドでいられたら、現実も変えられる。そう信じてる。

 

 

今年は少し寒いや。

刺すような風、震災の時のような道路、自分の立場、存在。

去年のような何か、身体を動かせるものが無いか、やれることが無いか、がむしゃらな毎日とは少し様子が違う。客観的に見ても。

 

今は、とにかく疲れたくない。

 

そう思っている。欲しているのかもしれない。考え過ぎたダメージから回復する何かを。

きっかけを掴むも離すも自分が決める事。

そこに言い訳を作らない為にも。

時には良い流れに乗り遅れない時もあるだろう。きっかけをうまく活用できない時もあるだろう。

呼吸、苦しくなる時もあるだろう。

 

 

それでも明日になっても明後日になっても、呼吸できてるように、今の呼吸が必要なもの。

どんな悪い空気も、そこに立っている以上は吸い込まずにはいられない。全ての悪だけを吐き出せる確証は無い。どう工夫したって取り込んでしまうようにできてる。この身体ってもんは。メリットになるようにできてる仕組みが、デメリットにもなり得る。

大半の人間ができる事、それはそこで空気を吸い、酸素を取り入れ吐き出す。なんでもないようで、そうでもない。呼吸。その当たり前の凄さ尊さ、奇跡に気付いたら、もう1秒も無駄にしたくないよって思う。

 

 

それでも、休める時なら休もう。

今はゆっくり、休ませてあげよう。