杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

不謹慎

これまでも数々の不謹慎な事をしてきた

今回も自責の念でいっぱいだ

それなのに繰り返してしまう

どうしても

どうやっても

今度はおじちゃん、ごめん

 

 

小学校の夏休み

クワガタを捕まえては見せに行ったり

イワナとかを釣ってきては見せに行ったり

おぉ!すごいな!

っていつも笑ってくれた

魚拓も作ってくれた

毎晩ウイスキーを飲んでて

ベロンベロンになってたな

 

入院退院して久しぶりに会った時

この俺からもどこか小さく見えた

声を失ってからも表情で伝えてくれた

一昨年あたりイモリを捕まえに行った時も

まだそういうの好きなのかって顔で笑ってた

あのイモリ、まだちゃんと生きてるから

もう何の制限も無いから

どこかでゆっくり休んでいて欲しい

 

人の一生

長いようで短くて

あっという間に成長して衰退していく

みんながみんな全うできるわけじゃなくて

病気や事故というアクシデントがある

命に別状は無いと言われた人が死んだり

前日に立ち話をして笑い合った人が死んだり

明日は我が身で生きてる

生きてる事は容易ではなくて

障壁だらけでもう立ち上がれなくなるくらい

打ちのめされたり

そんな自分に劣等感を抱き自信を失くしたり

全てから解放されたい衝動に駆られたり

人それぞれに色んな事がある

人には人の悩みや苦しみがある

誰かに言えるのならまだ救われるが

大丈夫大丈夫と呪文のように抱え込む人もいる

 

どれだけ一人で抱え込んでいる人からも必ずサインは出ている

目力、雰囲気、仕草、不意の表情、言葉

それに気付けるかが運命の分かれ道

気付いて欲しくて出してるわけじゃなくても

気付く人は気付いてしまうもの

片方の道を行く人はそこでの一言に救われて生きる

そしてもう片方の道を行く人は何も知られずに死んで、後から考えてみればと思われる

 

宿命は変えられなくても運命は変えられる

そう信じて生きてる

元気を出すのはものすごく疲れる

出そうと思ってそうなれるものじゃないから

それは元気じゃなくてその場での気合い

そう

あれもこれも気合いでやってんだ