杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

送りバントと隠し球

しつこいようだけど、今年は平和を望んでいる。

 

去年の今頃は、自分にもできる事を見付け、充実していた。

 

それから色々あったけど、しばらく素敵な日々が続いた。30年間生きてきたこの八戸で、また生き直していけると思えた。

そう思えたのも束の間、気付けば奈落の底まで堕落していった。

 

やっぱり俺はここにいるべき人間じゃない。色々あったけど生きてるから、どうにか生きてくから、ここにはいたくない。苦しい。

あと30年生きられるとしたらもっと楽に呼吸できる場所で自分を生き通したい。

 

ここは冬が冷えるくらいで、晴れる日は多いし、雪もそんなに積もらず、買い物に不自由しない。青森県の中で見ればダントツで住みやすいと思ってる。土地柄は。

ただ、どうしても人間、仕事関係がややこしくなってしまう。自分に問題がある事は認めてる。

でも他の土地で数年、同じように仕事をしながら暮らして生きてみたら、八戸で生きてきた30年間、無駄なしがらみ、無駄な気疲れをしていた事が痛いくらいわかった。あれは何だったのかという位、視野は広くなった。

 

相変わらず求人票はデタラメばかり、明らかな相違があって職安に相談に行けば労基へ行けと。そっちに行けどもよくある話だと特に何もしない。転職はもはやギャンブル。

職安が常に混み合う理由がわかった。企業と職安と労基、連携体制が全くというほど整っていない。

人生を豊かにしたいが為の、大きな決断、その転職も、運が悪ければたらい回されて泣き寝入りするしかない。こんなんだから精神崩壊して病院も予約待ちでいっぱい。自殺者もいっぱい。

 

 

俺が行った先々の地域では運が良かったのか自分にその問題は起こらなかった。一度も。

相違点があれば職安がすぐ労基へ報告、そして企業へ事実確認してくれた。安心して転職活動ができていた。

あぁ、これが職業安定所という名の、本来の在り方だよなと感じた。

そしてどこの県のどこの病院に通っていても、入院という言葉も、薬物依存という言葉も、一度も言われなかった。根本にある問題を解決するにはどうしたら良いか、どこから解決していくか、一緒に考えてくれた。

 

数年の間、そんな純粋に慣れてしまっていた分、戻ってきてからの墜ちてく落差はとてつもなく大きかった。一気に視界が無くなり、この地を飛び出した時と同じ、人間も組織も何もかも疑いに変わった。

戻ってきて改めて関わってくれた人、感謝もあれば残念な気持ちもある。それは半々。

確かに陰湿な人間ばかりじゃないってのはわかってる。

それでも結局また同じ状態、何もかも信じられなくなってる。

 

我慢で抑え込んでるうちに失ったと思ってた喜怒哀楽、歪んでしまう前の自分を少なからず取り戻してきてた。でも、また冷徹で無慈悲な醜い人形になった。

いちいち駆け引きのような、いちいち誰かの顔色を伺いながら、いちいち言葉を選んでいなければならない。そんな面倒で窮屈な自分に戻った。

30歳になるまでに散々、どこに行ったって同じだと言われてきたけど、実際は全然違った。明らかに当たり前が違った。同じだなんて言ってた人達は、どんな視野で生きてきたんだろうと思った。

正直に、面と向かって思った事を思った時に言えば相手も同じようにちゃんと返してくれた。ぶつかっても腹割って言いたい事を言い合ったら、しっかり聞く耳があって、相手は相手だとお互いが納得して、その場で解決して、次の日にはスパッと切り替えて単純に毎日を過ごせてた。

人伝に情報を探られたり、遠回しな言い回し、匿名で中傷されるのは本当に面倒だと思う。お互いに。匿名相手じゃ、俺は誰に向かって反応すればいいのかもわからない。恐怖より、もどかしくなる。

面と向かえない、特定されたくない、その程度の心臓だったら、自分の中だけに留めておいてくれないか。無責任で、身勝手極まりないと俺は思ってしまう。

 

 

今でも世間の休日となる度に気持ちは落ち込んで、外に出れば知ってる誰かと遭遇してしまう事を嫌っている自分のまま。コロナのお陰でマスクが常習化されていて、それに帽子を目深に被ってメガネでもしていれば少しは紛らわす事ができる。

俺だってその程度の心臓だ。

 

ふわふわと淡い色の世界にいる気持ち、うわの空の無重力な状態が続いてた。

一人の時間は永遠かってくらい長くて、逃げ道の一つくらい作っておかないと呼吸をしてる自分も嫌で否定的になって、どうしようもなくなる裂けるような毎日だった。

こんなんが続くのなら、痛みを感じなくなるくらいぶん殴られて生温い血に浸ってた過去の方がマシだとすら思い始めてた。

 

 

 

そんな時だった。

ただ一つだけ、希望の光が射した。

 

明日の見えない毎日、そして長過ぎる一日、もう考える事もできなくなって、ラリってお化けみたいな誰かと会話してサイケの世界に浸ってるしかなかった俺の身近に、家族。

本当に救われた。今も救われている。

それからは少しでも前を向いて、少しでも先を見ようと思えている。

 

共有したい楽しみが一つでもある事で、何ができるかわからなくても頑張ろうと思える。

生きてられる限り、面白いと楽しいで恩返しをし続けたい。

 

今年はこの気持ちを頼りに、この気持ちが途切れないように、見失わないように、楽しみな事を楽しいと感じていられるように、常に平和でいる事を念頭に、自分が実際に経験して知ってきた事、伝えられる感覚全て、身が千切れてでも伝えたい。

ここにいても生きてる自分を、自分で否定しないでいられるようになりたい。

 

そこからだ。単純で良い。

壊すのは簡単、元通りにするのは難しい。

 

こないだドアに挟んで折ったロッドみたい。