杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

霊冷零

帰り道、しとしとと小雨が降っていた。

三年前とは違う季節、同じ場面にいた。

 

もう吸うことも吐くことも無い。だから、どうか熱が冷めてしまう前にと願った。フラッシュバックっていう現象だろうか?

繰り返したくない。温もりが消えてしまうのが嫌、ただその一心だった。

 

悲しみがやってくるのは、記憶を思い出してしまうから。美化されたこと、そうならなかったこと、なんでもないこと。積み重なった思い出の場面、そこにいた存在を思い返せば人はどうも悲しくなってしまう。二度と戻れないのをわかっていても、記憶はそうさせる。

 

気持ちが収まらない悲しみ。でもそれは過去を振り返っての感情。その感情で溢れているうちは何もできなくなるのは自分もそう。だから無になる術を覚えた。力ずくで感情を抑え込む、または殺すよう訓練をした。どっちにしても一時的なものにしかならないんだけど。周りが落ち着いた頃に突然、頭が砕け散るような、うまく表現できない感情がやってくる。悲しいのか苦しいのか何なのかわからなくて、ひたすら嗚咽する日がやってくる。泣きたい時、泣くべき時に泣けたなら、涙を流しておけたならどれだけ楽だろうと思う。

しかしそこで悲しみに飲まれたら自分は全てが衝動的になってしまう。無理してでもそうしないと自分を保てない。だから無理を無理じゃないものにして生きてる。

 

時が流れればこの一秒、一分、一時間、一日、一ヶ月、一年と、全てが過去になってく。

大切な人を失えばツラい。ツラ過ぎる。でもそれは自分だけじゃないかもしれない。だから自分は、自分のようにすぐ心が裂けてしまいそうな人を見極められるように、その場での自分は冷静でいなければならないと、勝手にそうしてる。これまでの罪滅ぼしじゃないけど、もう誰も壊れて欲しくないと思うから。

 

できれば見届けたい。それができないなら冷たくなってしまう前に、確かに生きた命の証、温もりを感じたい。もうどこも動かない物体になっていたとしても、それを感じられるか感じられないかで大きく変わる。その時の思い出が。

 

 

人生お疲れ様と、労ってあげる。

苦労ばかりなのになぜ生きるか、命が宿ったその瞬間に終わりが決まり始まるのに、なぜそれでも喜ぶのか。

人間だけじゃない。他の生命体も生まれたら死ぬ。寿命は違えど平等に、生まれてきては死ぬを繰り返す。本能で子孫を残そうとする。なぜ?って、その意味はどれだけ考えてもわからない。

 

生き物を飼育するのが好き。幼い頃から今に至るまでずっとそう。

昔はほとんど虫。今は魚や植物。

虫も魚も、その一生は自分よりは短かかった。親が死んでも子が生き残り、親になってまた子を生んでって、途切れない命というものを見ながら自分は生きてきた。

命の宿った卵を産み付け、その命は生まれても死んでいく。今でもそれに一喜一憂する。

 

日が昇るとセミが鳴き、日が暮れるとホタルが光る。

共にいつか必ずと、セミは真っ暗い地中で何年も過ごし、地表に出て思いっきり鳴く。ホタルは水中で巻貝のみ食い漁り、空中に出れば水しか口にせず、思いっきり光る。せっかく大人になったのに、鳴くのも光るのもどっちも子孫を残す為。一日たりとも妥協してないのが伝わる。これが必死ってやつなんだって教わった。

 

魚は水中で一生を過ごす。自分の飼育してる魚は鳴きも光りもしない。それでもこの人間の作った限りある範囲と環境の中で生きてくれる。水中の快適ってどんなだろう?と、常に考えさせてくれる。目や行動からすべき事を察しなければならない。種類によって好む水質が違い、性格も一匹一匹で違う。基本的な傾向や飼育方法はあるものの、絶対に正しいというものは未だに確立されてない。より、考えさせてくれる。

植物は、自分よりずっとずっと前に生まれて自分よりずっと長く生きるものもあれば、一年で一生を終えるを繰り返すものもいて、その生命力に無限を感じてしまう。杉の木のように1000年以上生きてしまうもの、種を蒔けば綺麗な花を咲かせて、その年のうちに枯れて種を作り、また翌年もと繰り返すもの。水草なのに水中から陸上に達すれば適応して大きく姿形を変えてしまうもの。植物無くして動物は成り立たないと思ってしまう。教わる事が大き過ぎてよくわからくなってくる。

 

 

 

命って、なんだろう?

なんか記事にしてたらもう、わかんなくなってきた。

どこか出歩くにしても何か食べるにしても、多くの命を犠牲にしてる事は確か。

人間という生き物は、食ってばっかで食われる事は無い。

 

 

人間に限らず、命には必ずドラマがある。それを忘れなければ悩み苦しんでいても感謝しながら死ぬまで生き続けられる。

 

身体も思うようにならない、迷惑かけてしまって申し訳ない、それでも最後の限界まで生きて、とにかく苦しかったと察してる。

でももう死んだ以上、身体が動かなくなって燃やされて骨になっても、痛いも熱いも無い。

 

楽になったよ。もうどこにでも好きなとこに行けるよ。だからもうその動かない身体を見て悲しまないでって、そう伝えたいのに言葉にして言える身体はもう失ってしまった。

あれだけ苦しんでたんだ、楽になったんじゃないか?って昔の思い出話でもしながら泣き笑いしてくれたらこのモヤモヤが消えて嬉しいんだけどな。たまに夢に遊びに行くよ。元気だったあの頃の姿でね。

 

 

 

そう、見えた。