杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

虫酸が走る

いつからこんな面倒に生きてるんだろう。

自分から面倒にしてきたのは承知している。

人付き合いをシャットアウトしてから加減や限度がどんどんわからなくなってると感じる。でもそうする選択をしたのは自分だ。

 

 

先日、釣りをしていたら定年を迎えたという男性に話しかけられ、会話をした。

 

定年したから、もう残りの人生釣り三昧。

日本中を車で移動しながら釣り歩きたかった。それが夢だったと言っていた。

しかし身体的な不具合が出てきて、夢は断念するという。

返す言葉に詰まった。いやいやできるっしょなんて簡単に言えないけど、もったいないと思った。

 

本州と一部の離島を放浪しながらだったけど、釣り歩いて食いしのいでいた事実がある。

夢でも無く、目標でも無かったあの日々は、今思い出してみても苦しかった。自分はそんな生活の先で何をしたいのかわからなくなっていても、引き返す気だけは無かった。結局引き返して来てるけど。

 

将来の夢の為に貯蓄していても、いざ時が来た時に思うように身体が動かせなくなって、夢が夢で終わる事はもったいない事だと以前から思っている。

だからこそ今できる事をするべきだと思っている。

いつ死んでしまうかもわからない。いつ重病を患ってしまうかもわからない。明日が来るかすら絶対じゃない。

どれだけ金銭的な余裕があっても必要な時に意味を持たなければ無駄。

 

考え方は人それぞれで、否定的に言うつもりは無い。

一度きりの人生、今現在、動けるのなら、世間の目なんて気にせずやってみて良いんじゃないかな。それが周りの迷惑となるのなら思い留まるべきかもしれないけど。

 

後で後悔するのが目に見えるような事でも、やってみれば後悔とは違うものになってる事もある。

言葉で理想像を語るのは誰でもできる。ああなりたいこうなりたい。なんぼでも発言できる。

でも行動しなければ、得るものは無く、理想に近付く事はできない。夢は遠い夢のまま。

行動すれば失うものは大きいかもしれない。それでも金銭的な財産とは別の目には見えない何かを得られるかもしれない。

 

自分の行動によってこれまで築いてきた人間関係が破綻する事の不安の方が大きいのなら行動しなければ良い。

そういったリスクを負ってでも行動しないと気が済まないのなら、別のどこかで新しい人間関係を築けば良い。

しがらみだらけで窮屈に思うなら、地球儀を回してみれば良い。世界は思ってる以上に広い。

 

何をどうするかは最終的に自分自身の意志で決める。

普通なんて誰もわからない。当たり前なんて誰も知らない。

自分の普通を貫いて、もしそれが明らかに道理から外れてるなら指摘されて怒られて、そこで教わって、深く考えて見直せば良い。

あからさまに的外れな行為は、義務教育期間中に嫌でも教わってきてる。それから外れてしまうような行為なら、罪悪感や後ろめたさを感じるように人間はできてる。

だから、もっと自由で良いと思う。

人それぞれの行動が違ってて良いと思う。

世渡り上手で無難な行き方だけが良い人生じゃない。