杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

11

地震

津波

 

 

11年前のこの月日に、大規模な自然災害が起きた

たくさんの人が死んで、たくさんの人が悲しんだ

しかし死んだのは人だけじゃない

動物、植物、陸上にいるたくさんの命が消えた

代償に海の生物達には恵みとなった

これが地球の一部分で起きた現実

 

人間がたくさん死んだ事だけを悲しみ嘆くのは、自分としては違うと当時から思ってる

思考がズレているのはわかってる

大事な家族や友達を失った方々には失礼極まりないのもわかってる

それでもこの場で偽善の言葉を振る舞う気は一切無い

可哀想とか簡単に言わない

そう言ったら死んだ人が戻ってくるわけでも、遺族の気持ちが癒えわけでもない

同情したかのような言葉は要らない

他県を色々訪れながら実際にたくさんの人達と話してみて思った事、それは被害の全く無かった地域の方々からすれば、よっぽど酷かったみたいだけど、そんなに?

多くはそのくらいの認識でしか無い

何と声を掛けたら良いかわからない様子

同情したい気持ちは山々だが、直面してないから正直どうしてもわからないんだと言ってた人

テレビで連日被災ネタどうこうでほんとうんざりしてたと言ってた人

 

色んな人、色んな意見があった

大きな被害のあった地域程では無くとも、少なからず停電、ガソリン不足、電波無しが数日続いた

ローソクで暖を取り、闇を照らし、いつもの海沿いが変わり果てた光景を目の当たりにした身として、フラットな感情でいられなくなりそうな時もあった

それでもこれが現実なんだと奥歯を噛み締めた

 

 

地球の全ては繊細で絶妙なバランス

全てバランスで成り立っている

 

 

あの日

仕事から直帰するとばあちゃんが一人で毛布にくるまっていた

津波は家まで押し寄せてなかった

カップ麺というものを食わず嫌いで生まれて一度も食べた事の無いばあちゃん、それでもワカメのカップ麺、食べさせた

そして持っていた乾電池式のカセットテープラジオをテーブルに置いて、俺は家を出た

ランタンを持って歩き回り、俺は人を探した

でも見付けられなかった

ランタンを消して歩いた

停電した八戸市は、真っ暗闇だった

車と懐中電灯以外、何も光っていなかった

空を見上げたら星が綺麗に、デタラメのように光ってた

いつ電気が復旧するかわからない

先が見えない中

自分が見て感じたのは、協力よりも我先の人間

壊れた家に忍び込み窃盗

コンビニであるだけ買い占める

夜中から翌日営業するガソリンスタンド前には車の行列

俺の前にはエコカーが駐車してあり、誰も乗っていない

寒い夜はどこか別の場所で過ごして営業開始直前にどこからか何食わぬ顔でやって来た

それを俺は寝袋に入りながら眠らずに見てた

最大10Lまでか、1000円分の給油制限

俺の前にいたエコカーは給油が終わると猛スピードで走り去って行った

ああいう人ほどエコエコ言ってんだろうなとかってひねくれる自分

 

地震の被害よりも、いざという時の人間の行動

何が協力し合い、助け合いだよ

そうやって腐り、落胆した出来事

 

自然災害、誰かのせいにはできない

いつまでも嘆き続けるのは違うと思う

苦しかったろう

怖かったろう

それを想像すれば呼吸できなくなるくらいの恐怖を感じる

それでも地球は人間だけのものじゃないという教え

起きた事実を受け止める事も必要だ

 

あの日から1年後

10年前のこの月日

俺は岩手県久慈市の久慈新港で、津波観測機器の設置工事をしていた

工事も終盤のあの日、岸壁から海中へと繋がるパイプを保護する為のステンレスカバーの取り付け作業、思いっきりナットを締め込んだ

そして地震発生の時刻、鳴り響くサイレンと共に、黙祷という形でしかできないけど、今こうやって在る命を心から捧げた

 

 

毎年薄れ忘れられていく出来事

 

それでも復興するにはまだまだ時間がかかる

4年前、実際に岩手、宮城、福島の沿岸を訪れた

どのけさ3県も被害の大きかった場所は壮絶でしかなかった

まだダンプとショベルで地面を作っていた

家屋の無い異様な光景

福島では、まだ立ち入りすらできない区域もあった

報道だけじゃ知れないものがそこにはあって、空気も張り詰めていた

今立ってる場所、ここは家だったのか道路だったのか、それすら不確か

でも、家だったんだなと確信してしまう自分もいて

やるせない気持ち

立ち尽くすとはこういう事かと知った

 

その年の秋からは福島で働き、福島の海の立入り可能な場で釣りをして、福島の魚市場で福島県産の魚を買い、当時の同僚達と美味しく頂いた

連休を取って宮城へ一泊二日、海に行って釣りをしてその場で食べた

 

 

言葉では表しきれない事がたくさんある

伝えたくてもうまく伝えられない事もたくさんある

言葉の表現によっての捉え方は人それぞれで

反感を持たれる事もわかっている

 

俺が今いる八戸市も、公表されてない、身寄りのいない死者が多数いる

自分の仲間も何人か姿を消して今になっても生存確認できていない

行方は不明だ

 

 

思った事を思った通りに

思った言葉を文字で表現して

この場に記し続け

残していく