杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

けろんぱ

うちの金魚の卵から三月に孵化したうちの一匹を、いつからかけろんぱと呼んでいる。

 

みんなミジンコみたくちっちゃくて、ようやく魚っぽくなった時、みんな灰色だったのに、今ではもう白やオレンジに色付いて金魚らしい姿形になってる。背鰭の無いらんちゅう、丸っこい琉金、見慣れた和金、様々な金魚ミックスが日々育っていく。

その中でまだ灰色のまま、小さいまま一生懸命泳ぐ子が一匹いる。けろんぱ。

なんでこう呼んでるのか自分でもわからない。でもけろんぱ。このままじゃ大きく育ってきた金魚に食べられてしまうかもしれない。失いたくないのに、隔離しようとは思わない。何でだろう。自分に重ねて、自分の代わりに水中を泳いでくれてるような、そんな事を考えながら毎日アイコンタクトしてる。

 

 

この先自分がどうなっていくのか、わからない。

けろんぱも同じ。

食うか食われるか、やるかやられるかの中で共に生きてる。

 

 

色んな事に気付いた。

これまで首を傾げてきた事、わからないまま生きて、自分の素直な感情というものをいかに自分でかき消していたか知った。そしたら数々の出来事や意味不明だった行動の真意がわかった。繋がった。

 

 

現状は厳しい。

何をするにも制限がある。そんなんどうでも良いからと無鉄砲になってしまえば、更なる制限が加えられるだけ。勢い任せでどうにかなる事じゃない。慎重に、そして繊細に、薄い氷の上を歩けるか確かめながら進まないといけない。もちろん進めない事も有り得る。その可能性を承知、受け入れなければならない。

 

今の自分じゃ話にもならない。一方的な口だけ人間。必要なものが伴っていない。

どうすれば良いだろうって、考えて行動しなければならない。確かな自信を得なければならない。

ドラマは起きるものじゃなく、起こすもの。