杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

変わらない時間

今、真っ暗い部屋でぴこと二人?でスマホに文字を打ち込んでる自分。

 

今日の今、どこかでロマンティックな時間を共有する恋人たち。

 

常に同じ時間を過ごしている。

見知らぬどこかの誰とでも。やたらと長く感じる単調な作業中も、あっという間だったねって、物事を共有して別れを惜しむその時も、秒針は何も感じる事などあるわけもなく、等しく一秒を刻んでく。

 

だから今こうやってスマホに向かっているこの時、みんな必ず何かをしてる。風呂入ってたり、酒飲んでたり、もうくたばって寝てたり。もしくはデートなんてして誰かと笑いあっていたり。そうなんだろうなって思いながら、こうやってスマホに向かってる。部屋は寒いなぁ。スマホ持つ手が冷たい。でも今頃アッチィねぇ!って言ってる人もいる。どこかに。

 

何が言いたいかっていうと、同じ時間でも別々の場所でものを見て聞いて憶えて体感して生きてきた人間が、たまたまどこかで偶然出逢い、同じ人間として分かり合おうとする。これ、奇跡ってやつじゃないかと。

起こらないから奇跡というんだよとかって、確かにそういうネガティブなことわざのようなものもあるけど、出逢いに関してはこれは俺、奇跡だと思う。

と思う。あと一日ずれていたら、出逢えなかった。あと数年生きていれば出逢えるかもしれない。動けばたくさんの出逢いが見付けられる。でもそれらすらもまた、奇跡だと思う。

たまたまお洒落して友達と遊びに来てたらナンパされちゃったー。それも奇跡だよ。

あそこの本屋で靴紐結んでなかったら、車に轢かれる事もなかったのにな。それも、奇跡だ。

 

起こらないから奇跡なのは認める。ただ矛盾してるんだけど、起こすのも奇跡だと思う。

俺はこれまでもこの先どれくらいあるのかわからない人生を、この命を、起こす方に向けると決断して生きてる。意識があるなかれ関係なく、揺るがないもの。

 

だからそれを表現すればするほど、賛同が増えていく。

同時にアンチが現れる。光と影みたいなもの。

表現や宗教の自由とか、人権や命の尊厳とか、言い訳は様々と作れるけど、全ては自分次第、そしてタイミング次第。いつどこで何時何十分って聞かれても、それは明確に答えられない。

 

病院に行く日だけ外に出て、人と喋る。

それだけの人間、今。そんなやつが、たくさんの人前で心から笑って歌を歌ってたら、それって奇跡だろうか?

 

 

 

恋愛ってものをしてた頃、あいつ、今頃どうしてんのかな?ってよく不安になったもの。だから会いたい会いたい!ってなったのかな?様々な恋愛をしてくうち、そこで不安になったところで真実は当事者にしかわからない、だから問いただして嘘か本音かわからないけど、そうやって浮き沈みするのは無駄、しかも必ず本音を答えるとは限らない。別々に生きてきた人間だから尚更わからない。信じられなくなって疲れ果てる、そう悟った。

 

だから今は自分の維持で精一杯。その上に重いものを乗っけるのは嫌。だから恋愛はしてない。

余談だけど女優、戸田恵梨香が結婚してしまった。なんかざっくりしてるようで繊細そう、そして何より飾らないでゲラゲラ笑いそうな所に好感を持っていた。朝ドラのスカーレットで女優さんの中ではやはり一番好きな女優さんだなぁと感じた。相手は同業種の俳優さん。意外・・・意外過ぎる相手。でもお似合いな感じはする。勝手な思い込みだけど、いつかスカーレットで夫婦役になった松下洸平さんとそういう結婚って形になれば良いなぁって思ってたけど、そんな劇的ショックって感じでもない。毎日一緒にいたら苦痛って感じじゃなく、特にどっちが何してようがへぇーくらいラフな感じで、いざという時には支え合って生きていって欲しいですね。おめでとうございます。

 

脱線したらわかんなくなっちゃった。

さいなら。