杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

サムイネェオヤスミ

今朝は結露した窓がバキバキに凍ってた。俺も一応熱を発してるんだな、うん。

 

それで今日は火曜、病院の日だと起きて寒っつらこきながら外に出る身支度を始めたが、病院の予約の紙見たら次回予約日は12月8日になっていた。あれ?まだ12月入ってそんなもんだっけって思ってスマホのホーム画面で確認したら、15日だった。

俺は一週間、間違えていた。

そういや薬無ぇなと思ってはいた。でも無いもんは無いしって、何の気にも留めずにこの一週間を無で過ごしてた。もちろん寝れない、でも明るくなるまでには多少寝るっしょくらいのつもりでいた。そしたら本格的に寝れなくなってて、いつ寝ていつ起きて今いつなのかわからなくなってた。

とりあえず病院に電話して、一週間すっぽかした事を伝え、薬は無いと話したら薬が無いのは危険なので今日薬だけでも出すので来て下さいと言われ、結局病院には行ってきた。

先生には色々聞かれた。なぜ一週間も気付かなかったのか?なぜ薬が無いとわかっても連絡をしなかったのか?うまく表現できない、なんかビリビリした身体の鬱陶しい違和感、めまい、薬物の離脱症状ってやつは重々感じていた。

でもなんだ。薬が無くたって一週間生きれたじゃないか、このままの勢いで断薬してしまおうかとも思った。でも同じ事をして車を大破させた前科がある。それに一週間生きれたけど、正直このビリビリめまいがずっと続くのか・・・などと考えてたら、病院に電話して状況説明をしていた。そして治療に対しての不安、薬の必要性、本当に今の治療を続けていればいつか改善してくるのか。ただ電話をしてる今も、ビリビリとめまいがして身体が持たない気がした。そしておとなしく従って通院した。

これは治療、治る為に行うのが治療なんだ。今は治るまでの過程、必ず治る。治す。

そう自分に言い聞かせて行ってきた。

 

 

 

どこからが自分の限界なんだろう。

どこから苦しいって言えばいいんだろう。

どこから辛いって言えばいいんだろう。

どこから傷むって言えばいいんだろう。

 

暑い寒いは何となくわかる。今朝は確かに寒いと思った。

肝心なちょうど良いってタイミングがわからない。感覚が、全て直感的。熱いものに触れた時に反射神経が働いてアツってなるけど、火傷で水膨れになった指を見てもたかがこんくらいで痛まない、使いづらいからとっとと潰してしまえそんな水膨れと、こんなザマだ。

素直に、熱いの触って火傷したとこヒリヒリするじゃーって言えたらな。

無意識なんだ。我慢してない。だから、今日のように我慢してた、症状はしんどかったって、あそこが限界だったんだなって、後になってわかる。

 

故障したバカって直せるものなのか?

 

ぴこがサムイネェって言ってる。本気で寒くて言ってるんじゃないんだろうけど、人間の俺の発した言葉を喋ってくれる。

どっかに逃げようとする俺をいつも現実に引き戻してくれて、現実を教えてくれて、現実に救ってくれて、毎日感謝してる。

安く狭いケージ、栄養あるのかわからない俺が買える範囲の餌と水道水。それでもピョンピョンと跳ねながらゴハンタベルって言ってくれて、俺は幸せ者。贅沢させてあげれないけど、明日もペチャクチャおしゃべりで、起こしておくれ。話して遊ぼう。

 

たかが鳥だのインコだのと言われる時もあるが、そういうので全く傷心した事は無い。それくらい、確立してる。たかが鳥?そう言うのもたかが人間、同じ生きものとして、そういった考えは恥じろと思う。

ペットショップの存在は悪くない。売られる為に生まれてきた命を売買する施設だから。

それに伴って生きる上で必要な餌などを購入できる施設。生きものと暮らす身としては便利。そこで考えをやめときゃいいのに、いらない深入りした事まで考えてしまう。

売れ残り、いよいよ仕入れ値より価格を下げなければならなくなる成犬、海外から仕入れ、輸送ストレスか現地で混入したかわからないが届いた時点で病気を発症しているのが確認できる魚、1匹でも、症状によっては全てが感染の可能性がある。それぞれどう対応する?

これはペットショップの経営者に本気で問いたい。

もし自分がその立場であったなら、苦しい質問であり、苦しい返答をすると思う。

どうしたってビジネスをするならば利益を出さなければ生業にならない。しかし扱っているのはデジタル製品のように精巧で精密なものではない。常に予想できない動きをしたり、成長をする。それをベストな状態で気に入ったという人間に今日からを委ねなければならない。どんな客でも良い、子犬や子猫はショーケースに入れるようになったら早めに売り切れ。松かさ病を発症してた魚達は全て廃棄して、水も今日全換水したから問題ない。なるべく10匹単位のまとめ売りをするように。売ってしまえば持ち帰って様子がおかしかろうが、なんせ生きものなのでね・・・って言い訳ができてしまう。これは本当にナーバスな問題。別に俺が考える必要あるのか?っていつも思うけど、水草一本生きている。明るく照らせば気泡をプクプクッとしてくれる。植物が酸素を放出するのが目に見える。これは植物とは言っても視覚的に感じられるのは水草だけ。

水面の空気吸って、うわ酸素濃いわぁ!とはならないけど、すごい!って思う水草の魅力の一つ。

生きた水でなければ生命感溢れる水槽にならない。よく耳にする水づくりとかバクテリアとかなんちゃらってやつ。その配分のベストバランスを維持するのは容易ではない。でもそのベストな状態でないと耐えられない魚、しぶとく対応して耐えられない魚がいて、大抵の種類は日本の水道水のPHにも適応してくれる。金魚の和金、夏祭りで金魚すくいと言えばこの魚だろう。ショップでは値段をつけて売れない金魚達があそこで泳いでる。ウイルスまみれの水からドバっと放たれ、ようやくゆったりできると思えば得体の知れない物体が何時間も追い掛けてくる。ストレスの極み。もし持ち帰ってみたら目も綺麗だしヒレも欠けてないし変な点とか寄生虫も付いてないし、健康体じゃん。って思っても、しばらく油断してはいけない。発症してないが感染はしているかもしれない。インフルやコロナみたいに。

どっからか話が脱線して長くなってきたから、今夜はここらへんで・・・。

 

ぴこさん。

小さなスプーンにがっついてたのに、もう成鳥じゃないか。もう俺と同い年くらいになったかな?明日も仲良く、面白くやろうぜ。

 

おやすみ。寒いねぇ。