杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

曖昧嫌いの魚好き

嫌いと言っても、散々曖昧にしてきた過去が自分にはある。

 

潔く生き直すって決めた。30歳になった時。

あれから数年、その覚悟の大きさを実感してきた。苦しさも倍増した。それ以上に得るもの一つ一つに重みを感じるようになれた。

 

だからもう、中途半端な惰性のままに生きる自分には戻らない。

 

苦は楽の種

 

それは綺麗事じゃなかった。苦しみが長く続いても報われたと思える瞬間があると知った。楽は描いていたものとは違えど、無駄じゃなかったって思える瞬間がある。

 

苦しいを望んではいない。

でも苦しいと感じてる時、これから何か起こせるかもしれないと思えるようになった。

ただ、苦しいが重なると悲観的にしかなれなくて、せっかくの機会を逃した事もある。

ほんの些細な事でも嫌な事が重なるのが一番厄介だ。足元で虱潰しをしてるようになって、目の前に現れてる機会を見逃してるかもしれない。

 

前だけ向いていれば、後ろは見えないように人間の身体はできてる。

単純に、その構造を思考の基盤にする。そうする事で目の前に嫌な過去を思い出すような問題が現れても突き抜いて進める。

それを習慣化していく事で何を起こしても、何が起きても冷静にいられるようになると今は思ってる。まだまだ経験不足だけど。

 

要は筋を通す事。

反社的な言葉かもしれないけど、俺は全くその通りだと思う。

反社といえば俺も反社か。社会を信用していないから。

社会の当たり前に従ってたら、自分が自分でいられなくなる。発言も説得力の無い無難な言葉ばかりになってしまう。

 

このまま思った事を言っていれば、一般常識人から総攻撃を受けるかもしれないな。

それでも思った事を言う事が俺の攻撃。守り方がわからないから、攻撃し続ける事がせめてもの防御。

攻撃防御って、なんか戦いみたいだけど、戦う気は無い。勝負は好まない。自分は自分でいたい、それだけ。

それでも戦いに発展ならざるを得ないなら、俺は攻撃しかしないよ。結果的に守れたら、それで良い。勝てば負けない。自分が自分でいられれば、負ける事はない。

 

勝って嬉しい、負けて悔しいはスポーツで十分。人間性で勝つ負けるは俺にはつまらない事。そこに勝ち負けなんて無い。みんな性格が違うんだから、良い部分も悪い部分もみんな違う。良い部分を認めない、悪い部分は徹底的にクローズアップ、それで誰が面白い気持ちになる?誰も良い気持ちにはならない事に興味が無い。

 

せっかく生きていられるんだから、苦しい、難しい、そこから常に面白いを見付け出せる人間でありたい。

 

まだ自分の事でいっぱいいっぱいになる事が多いけど、この螺旋階段から抜け出して、この先自分と関わる人間の良い部分をしっかり引き出せる人間になりたい。

 

生きた魚の目を毎日見ていれば、今何を思ってるのかわかるようになってくる。

空中と水中、住む世界が違っても、言葉なんて無くても、相手の感情を捉える事ができる。相手は理解してくれなくても、まず自分が理解しようとする事から始める、とても大事な事。

うちの魚達は俺がどんなに落ち込んでても、目が合えば何か食わせろと訴えてくるから、参っちゃうんだよな。

はい、わかりましたよと餌をあげて、全身で満足を表現してくれてるのを見てると、落ち込んでる自分が段々バカバカしく思えてくる。

いつも、ありがとうよ。