杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

出張物語〜3days〜

2泊3日の出張が終わった。

 

目的は移動費の節約。

日光を浴びながら運動。

ストレスの発散。

海アメマス、海サクラマス

 

 

 

久しぶりだった。

波の音を聞きながら眠るのは。

車で2泊して、3日間を悔いなく過ごしてきた。

 

来月までしばらくできない釣り。

満ちてくる潮、引いていく潮、そして止まる潮。全身で感じてきた。

 

春一番の風だったらしい。

最近はしばらく強風続き、日本海側は釣りができない日も多かっただろうな。冬の太平洋側にいる自分は恵まれてると、つくづく思った。

気温は徐々に上がってきたが海の中は今が真冬。雪代の濁りはそこまで酷くなかった。

 

1日目。

歩き回って地形のチェックをした。沈み根や海藻帯の位置もチェックした。ベイトもちらほら。サケの稚魚が時折水面でざわざわしていた。

夕まづめ、ベイトを食い上げるもじりが射程圏内。ルアーを通してくると、一発でヒット。横からひったくるように食って走った。が、お決まりのバラし。それ以降反応無しで終了。

 

2日目。

朝まづめ、何の反応も無いまま干潮。

昨日一日、飛ばし過ぎた疲れを感じ、上げは見切って満潮からの下げを狙おうと思い車で休憩していたところに、サプライズで援軍二人が来てくれて、差し入れまで持ってきてくれた。しかも、美味しいおにぎりと熱々の味噌汁と、モンスター。一気に心身回復、テンションも急上昇して、色々フライングしてしまった。

これでこの先、みんなで同じ事をやれる。共有できる。これまでやってきた孤独な釣りで得たもの全てを伝えたい。

忙しい貴重な時間を割いて来てくれて、二人共、本当にいつもありがとう。

ちょうど風向きが微妙な状況で、潮もそこまで流れていない時間帯だったけど、ほんの少しでも一緒に釣りができて嬉しかった。

二人を見送り、気合十分、ノンストップで夕まづめまで投げ倒した。

しかし反応が得られない。目の前の海から生命感を感じない。

昨日チェックした根回りを入念に探ると恐れていた根掛り。大事なシャローペンシルを失ってしまった。その際に偏光グラスまで落としたようで、行方不明。

心が折れかけたけど、暗くなるまで海に浸った。この日も釣果無し。

 

3日目。

最終日の朝、明るくなってくる空と穏やかな波風。

日の出で照らされる海面は綺麗だった。太陽が昇り、眩しかった。偏光グラスはどこで落としたんだろう。

この日は自分以外にも3人ほど釣り人がやってきた。潮止まりまで歩き続ける力が無く、休んでいた。

そして一人、魚はいないと見切ったのか早々に引き上げた。その人が向かう車はどこかで見たことがある。それに見覚えのあるライジャケ。挨拶を交わした際に少しだけ話をした。やっぱり10数年前にどこかで会った事のある方だった。きっとまた会う事になるだろう。

そして潮は動き始め、前日貰ったモンスターを飲み干した。これで肝が据わった。

再び歩き始めたら、見付けた。偏光グラス。浴びた海水と、小石の飛び傷はあったけど、まだまだ使える。装着して、完全に再スタートした感覚。

やや追い風で微風。海面は穏やか過ぎるくらいで、前日同様に生命感は無い。それでも昼過ぎまで海と陸の境目を歩き続けた。

気付いたら他の2人も撤退していて、一人になってた。それでも集中力は途切れず、何度も何度も投げて歩いた。持てる全て、色んな事を試した。それでも反応は無い。

ここで電話の着信音が鳴った。またフリーダイヤルかと思いながらスマホを見ると、違った。以前やり取りをした事のある電話番号、何事かと応答したところ、念じ続けていた事が現実になった。半分だけ。

魚はこの3日間、釣れていない。それを忘れてしてしまうような話。

それからは、完全にルアーの操作感やアクションの確認、手持ちの道具をフル稼働させて、脳みそに刻んできた。

満潮を迎えたタイミングで、この3日間の釣りを終了した。

 

ふらりと単発で行っても一匹二匹だった場所も、やはり人が毎日同じような事をしていると魚も見切るようになる。それを食わせるのが醍醐味の一つでもあるけど、釣り人が増える事で起こる問題は決まっている。心境は複雑だ。帰り道の木の枝にもパンパンのゴミ袋がぶら下げられていた。

ルールとかマナーとかいうけど、ハッキリと定められたものでは無い。

だからと言ってゴミは捨てて良いという事でも無い。

車に乗れる年齢になってそんなの知らないって事じゃないと思う。自分以外の迷惑になる行動はしない。それが人としての最低限のマナーであり、ルールだと思う。

曖昧だから別に悪くないとか、他人もやってるから良いじゃんってのは、老若男女、存在してる。良いとか悪いとかの話じゃなくて、自分の居場所で同じ事ができるか、考えられないのかといつも思う。

自由を勘違いしてないかと思う。

そういった釣り人が増えるのは迷惑でしかない。たった一人の捨てたゴミで、そこに通い続けてきた人の居場所を失う事ができてしまう。

もし特定されたらどうなるかってリスクも考えてみて、行動して欲しい。

釣りのルールは曖昧かもしれないけど、釣りのマナーは、学生から社会人まで、日常を生きてきていてわからないは無い。

他人がやっていても、良くないよなと思った事はやらない。ただそれだけの事だと思ってる。

自分さえ良ければで生きてきて、そのまま社会的優位なポジションにいる人も世の中にいる。

でもその自分自分が後から自分に返ってきて大きく思い知る時が来る。

 

釣り業界全体、目先の利益より昔からある人それぞれの居場所の保全活動、そういう方向で動いていって欲しい。釣り場が無ければ釣りはできないんだから。

 

 

俺はこの3日間、釣れなかったけど、釣りができた事が嬉しかった。釣れなくて悔しかったもすぐに面白かったに変わった。歩いてるだけで、波しぶきを浴びるだけで、生かされてる実感がした。

なにより、改めて海が好きだと感じた。

 

また海に行ける日を楽しみに思う。