杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

夏の去り際

9月の終わりの晴れた今日、まだいるよって陽気な日差しが言ってた。その熱が届く前に、新しい風が颯爽と包む。強い光は届いてる。しかし熱に力を感じない。

 

暑くない。寒くない。何を着てるかすら忘れてしまうくらいの適温。ちょうど良いって、すごいなってつくづく思う。

 

朝方は冷える。きっと、あっという間に冬になる。去年、吹雪の峠を抜けてきたのも12月の冬の日だった。

 

また季節が変わっていく。

次は夏だっけ冬だっけって、思考が追い付かない時がある。

自分の中でも確実に何かが変わっている。

 

 

この一年は、自分の中の概念を覆しながら生きてきた。

限界はわからない。わからないけど、

 

想像での否定、会話の始まりからそう入ってくる人間が嫌いだ。

覆してしまいたいけど極力それは自分がすべき事では無いのではと感じる。

本人が気付けるように、そこでハッとしてもらえたら、それが本望。

 

 

生きる-命=死んでる+知らない世界

 

生きている、ただそれだけで幸せな事、そうは思わない。痛くて苦しい、いつまで耐えなきゃならないかわからないのは辛い。それを未知の領域に希望が見えてるのなら、死ぬ選択が間違いだと思わない。辿り着いた覚悟に、深くを知らない者が簡単に死ぬのは良くないとか、人生これからなのにもったいないとか、不用意な説得はするもんじゃない。形だけの引き留め、それはもはや失礼。

もうとっくに這いつくばって通り過ぎて来てる。そこらへんの葛藤とは。

もっと先を見据えてる。天国か地獄かとか、そんなんじゃない、ただただ未知の領域。

死んだら身体は物体になって同時に存在が無くなる。じゃあこの気持ちってものも同時にパッと消えてくれる?それならば迷いは無い。

でももし何処かで永遠に消えず渦巻き続けるのなら、今からを変えていけたらと思える。

 

どういう形であれ、消えるか消えないか、死んでみなきゃわからない事。皆、逃れたい衝動と楽になりたい衝動で死んでく。でもその先どうなったか本人しか知れない。数秒前まで生きてた死人に聞いたって、何も返って来ない。もう死んでるから。死んじゃえばもう何も言わないし表情も無い。あとは腐敗してくだけの有機物、生ゴミ。言い方は汚いかもしれないけど、現実。リアル。

 

その冷たくて無表情になってしまった本人の周囲で何が起こっているか?

答えはわからない。

 

死ぬまで言わぬと言ったまま、死んだら言えもしない。

本当は言いたかったのか、本当に言いたくなかったのかすら、わからなくする。

これが死の現実。

いつも通り、昨日までくだらない話しながら笑ってたのに、なんで?

そう話し掛けても、揺さぶろうがつねろうが、何の反応も無いから、わからない事がわからないまま消化できず悔しさだけ置いてってさ、この謎に首を傾げながら自分が死ぬまで生きていく。

受け入れられない現実だとしても、現実は一秒一秒、淡々とした現実を与え続ける。

 

なぁ海よ。

寄って返ってって、いつまで続ける気?その波の音で俺の中にある良い記憶も悪い記憶も一度、全て流してくれないか。