杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

決まりとは

守るもの。

そして常に作っていくものだと思う。

そうであって欲しい。誰もが平和な世界を望むなら。そううまく仕組まれていないこの模様を、誰が喜んでくれる?本物の神様って、誰なの?いるの?存在するの?

 

決められた範囲内で生きる。

その決まりは日本国内でも地域によって様々。地元ルール的な、曖昧なものだったりする。 

何が良くて何が悪いか、自分の判断よりも周囲の反応を気にしながら、曖昧な決まりの中で生きる事に、心底疲れた。うんざりした。

 

色んな地域があったよ。

今はもう全国的にレジ袋有料化になってしまったけど、何年も前から有料化していた地域。

沖に突き出た防波堤を有料で入場できるようにしていた地域。

釣り桟橋を無料開放していたり、綺麗に清掃された公衆トイレが所々に設置してくれていた地域。

水深5~6mの海底を覗き込むと、底までくっきり、色とりどりの魚がたくさん群れていた地域。

 

 

でも、ずっと一人だった。

日本中どこに行って、どんな絶景だろうが、どんな驚きや気が遠のくような苦難、どんな時もその時は一人だった。

夕方になると車内のシートを倒して、各地の道の駅やコンビニや海沿いに寝床を定め、夕暮れ前にはもう睡眠の準備をしておく。蚊やブヨに刺されないように。

あとはもう闇の中で、ぼんやり車の天井にその日の光景を映し出し、体験した事を思い返す日々だった。

何かを探してるわけでも無いし、行きたいところも無い。ただどこまで行けるかってだけで、本当に目的の無い行動だった。途中、島根県のあたりで「一人旅かぁ、良いねぇ」って言われて、初めて旅という言葉、意味を考えさせられた。俺は、旅をしてる気は全く無かった。ただ闇雲に、常に海を助手席側にして、一般道をひたすら走ってガソリンを消費していただけ。今となってはバカやったなって思うけど、それで良かったんだとも思う。

何か、目的を見付けたかったのかもしれない。何も見えなくて、飛び出して、見たことないものが見たかったのかもしれない。何かを期待していたのかもしれない。

福島の沿岸部で壊滅的な状態を目の当たりにした。テレビには映らないどうしようもできない状況、自分の無力さを痛感した。

そして南に行くにつれ気温は上がり、いよいよ着いた九州は暑い。わかりきってた事でも、実際行って体感した事は無い。もちろん気温も高かったけど、湿度というか、蒸し暑い概念が変わる位の体感だった。

 

へー!どんなもんだ?

っていう、そんな軽はずみな行動だった。地元から飛び出した、あれは30歳の7月。

本州を時計回り、ずっと下道の海沿い、所持金は現金10万円、通帳は無し。

鹿児島に着いて先に進めず四苦八苦してた頃には手持ち約3万円。そういえば特産品やご当地グルメは一切口にしてこなかった。一日置きに一食、すき家の並単品のみと釣った魚でやってきたけど、所持金を半分以上失ってからは、すき家も止めた。もう、釣った魚のみ。

夏だから日持ちもしない。だからその場で調理して食う。ワンパターンでほとんど刺身か煮付け。希にから揚げにする程度。釣れない日、悪天候の日は舐めた指をごましおの袋に突っ込んでは口に運んでた。

 

川の生物達に謝りながら、全身をシャンプーやボディーソープで洗い、上流部で衣類の洗濯をして過ごした。

運良く海の家らしきものを見付ける度、もし良かったらシャワーをお借りしたいですと頼み込み、そこで洗濯からまな板や調理器具も洗っていた。

 

初めての逃避行動は、こんな感じだった。

戻って来る気は無かった地元に戻ってきた時、特に達成感も無ければ、後悔も安心も無くて、どこか遠くに行ってきたって感覚も無かった。まさに無。

ホームセンターやドラッグストアの違いはあったけど、コンビニはどこに行っても見覚えのある看板、そして商品。どこに行っても逃げられないんだと思い知った瞬間でもある。

あの時のお金が今あったらなぁと思う程度まで、思い出に変わってきてる。

どれだけ見える景色を変えても、消せないものは消せないものと知った。

だから、どこかで自分にもできる事があるんじゃないかと、すぐにまた地元を飛び出した。

 

今度は意識を変えると決めた。

仕事は仕事、常に冷静に、自分の癖を出さないよう、心掛けた。使う側も使いやすく、使われる側も金を時間で買うドライな感覚。それで良かった。

視野を広く、とにかく視野を広くと意識していたら、各地でたくさんの人間と出逢っては別れてきた。笑い、苦労、閃き、躓き、毎日たくさんのドラマを起こせていた。

そういう人間らしい生活も経験できた事で、全てを客観視する術を手に入れた。目と表情から真相を引き出す術を手に入れた。冷徹な位、使うか使わないかの二択で断捨離ができるようになった。

 

この感じ、初めて飛び出した時の、勢いだけの行動、あれもあながち間違いじゃなかったのかな?

なんとなくだけど、そう思ってる。

しかしもう過去の事。忘れるまでは忘れないだろう。

良いも悪いも全て、直面して判断した自分、それらを吸収してきた自分が、まだこの地元で生きている。

 

俺に言える事は一つだけ。

人間、孤独が一番ツラい。

 

共有する事、それがどれだけ幸せで喜ぶべき事か、声を大にして言いたい。誰かと共有して悩んだり解決したりする事で、脇道を進んでいる現状は間違いだという事にも気付けるんだろう。

 

孤独には絶望が付きまとう。

俺は願う。誰もが心のサンドバッグと思える信頼関係を持った人の側にいる事が大事。それは何人いてもいいが、一人いてくれるだけでネガティブな思考を180°変えられる。

守る覚悟を持って生きていれば、孤独感も絶望感も半減どころかプラスにすらできる。

 

明日、空を晴らす準備をしよう。