杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

晴天の霹靂(お米じゃないよ)

東向きのベランダで、ぴこと一緒に日光を浴びている。

道路沿い、車や人が行き来してる。車の走る音、クラクション、サイレン。

ノイズの中、時折スズメやカラスの声が聞こえる。ぴこもこの空、飛んでみたいよな。そしたら俺、ぶら下がるから連れてって欲しいな。でも重すぎるか。

 

外から見られないように水草を水上化させて、ベランダを目隠ししてる。誰の目も気にせず、のんびりと外の空気を吸い、空を見上げる事ができる唯一の場所。午前中しか日が当たらないから、昼からは布団に戻って横になって天井を見てるだけ。

いつもこのルーティン。このまま春も夏も、もうすぐ秋も終わって冬が来る。

 

体力無し、抵抗力無し、すぐ熱を出して寝込む。せっかく晴れてるのに動けない日は虚しい。昨日も晴れてるぞってベランダに出ようと右足をサンダルに乗せたら、ぎっくり腰。トイレに起き上がるのも、靴下ひとつ履くのも壁にもたれながら、やるせない。

 

病気って何だ。病は気から、なんだろ?

あくまで自分の性格がたまたま病気ってカテゴライズされてるだけだと思ってた。

しかし認めざるを得ない出来事が数多くあり、今もこうやって人目を避けて過ごす日々。

釣りでも音楽でも好きな事を、それができなければ散歩でもして気晴らしでもして体力付けなよって助言してもらっても、できない。やれるのはずなのに、やれない。それを、やらないだけの臆病者と自分が自分を責める。

 

罪悪感の塊だよ。

 

 

転機が迎えに来てくれるなんて思ってない。

自分から見付けなければならないってわかってる。

 

 

 

春先に発泡スチロールに植えたスイレンは、花を咲かせられないままとうとう枯れてきてしまった。

ごめんね。

 

 

今も世界中でコロナウイルスが蔓延してる。

それすら自分のせいなんじゃないかって思う時がある。そんなわけないのに、本気でそう思う時がある。自分でもよくわからない。

 

できてた事ができない。

でもそれを病気のせいと言い訳にしたくない。弱体化してようが身体は動くんだから。

きっと、きっかけ一つで何もかもが変えられる。自発的な行動ができた時に。

 

 

 

 

空がすごく青いなぁ。

ぴこがオサンポオサンポと喋りながら羽ばたいてる。こんな狭いケージの中で精一杯、喜んでる。それを俺は喜びながら、ごめんねとも思ってしまう。

 

 

 

太陽は見えるのに、明日はいつも暗闇。

もうそろそろこのベランダに日が当たらなくなる時間だ。

 

まだ早いけど、自分の中では夕日が沈んでいく、そんな気持ち。