杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

人 ひと ヒト hito

この空気を吸ったその日から、人は一人の人としてこの地球で呼吸をし、生きていく。

育っていく環境の善し悪しは後に大きな問題にもなる。

色んな事が起こるさ。

サンタクロース、ランドセル、思春期、嫉妬、大人、自惚れ、嘘、溜め息。

 

常に渦を巻いたような人生の人。

穏やかな湖畔のような人生の人。

 

人生色々とはいうけど、簡単にそう言って済ませてしまってる事が増えてく一方。

自分の意思とは反している現状を受け入れられない未熟さ。人間力が不足していると強く感じてる。

だからあれこれ溜め込んでキャパオーバーになった前例があるのに、何で同じ事を繰り返そうとしてるんだろうって自己嫌悪に陥るともう、自分に対しての出来事、言葉、全てを否定的に捉えてしまう。

このネガティブを治したいんだよ。

寝れる寝れないはその次で良い。処方薬って、本当に望む効果が得られてるの?うまく伝えられなかった時に出された薬って、効果以前に副作用が主な作用でしかない。いつになったらこのループを抜けられるんだろう。

面白い事がたくさん見えかけてるのに。

不甲斐ないっていうのかな?この感情は。

 

気持ちは前のめり、身体がそれに追い付けていなかった。そう後になって気付く、こんな自分にはもう懲り懲りしてるんだけどな。

 

仕事はゲーム、人生はドラマ。

社会人一年目、社長はそう繰り返して言ってくれた。わかったようでわかってなかったけど、その教訓は今の状況になっても色褪せていない。しっかり刻まれてる。

自ら行動しなければ何も起こせないって事なんだろう。って思いながら、もう15年くらい経つか。

仕事は、与えられたものをクリアすれば報酬がある、そんくらい単純になって生きろって事なんだろう。って、リセットの一心で生きてきたここ3、4年の中で感じるようになった。そしたら時々、鈍く痛む。

 

仕事はしっかり、きっちりとやれるようでありたい。でもふざけるところはふざけられる余裕も持ち合わせていたい。オンとオフのメリハリの必要性を知った。

仕事と睡眠が人生の大半の時間だとしても、その他の時間は自由。日本国憲法のルールの範囲内でなら面白い事を自由に見付け、深く追求できる。

 

もういい大人なんだし、しっかり大人やらなきゃっていう自覚をして行動するのは社会的には必要だと思う。最低限とか言わず。

ただ、オフの時間にまで疲れるだけの電源入れて、人目を気にして、言いたい事も言えずポイズン状態になるのも痛い程、理解できる。

 

なんで、自由なはずなのに、変な目で見られてばかりだろう?

もしかしたら自分の普通の言動や行動は他人からすると非常識でしか無いのかもしれない。そうか、自分が悪いのか。

 

生きていれば誰もが、どこかのタイミングでこんな疑問を抱える事があると思う。

ここで素直に諦めて辞めるか、それともまだ手探りでも続けるか、人には平等に二択というものが与えられる。

選べるって、すごい事。

 

後悔したくない行動っていうものに俺はあまりピンと来ない。

後で悔いるかどうか、考えたってわからない。だから選択を迫られた時、自分は単純に何か起こせそうな面白い方を選んでしまいがちだ。

どんな悲惨な結果も受け入れる覚悟ができてるか自分に問いて、しっかり確認してから、ゆっくり深呼吸して、そしたら重苦しかった問題、選択というものがポジティブなものになってる。

しっかりネガティブを知った上、そこから生まれたポジティブにこそ説得力があると、そう信じて今日も生きている。

 

見据えてみても先に何があるかは全然見えない。

でも見据える事が今はできている。だから見えないものを無理に見ようとするんじゃなく、今は見据える事ができるようになっている事を心から喜ぶ。そしたらもれなく感謝の一つ一つがミストシャワーみたいに降ってくる。そんな嬉しいオマケ付き。

 

その注がれたたくさんの叱咤激励、それらは喜び、自信、後悔、反省となり、次への意欲、力となる。

もし後悔するかどうかで判断しているのなら、自分にできる事、可能性を下げ、できない事ばかりにしてしまってると思う。これがもったいないのかどうかも、今はわかんないや。

 

後悔ってもの、今も全く恐れて無い。

ドラマチックにしたいだけだから。

駄々をこねてた今日の空も、今では綺麗な星を見せてくれてる。ちょっと寒いけど、感謝。