杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

戻って来やしない

先週土曜の夜に階上町の小舟渡漁港でアジ用のタックル、ダイワのアジングXとフリームスを誰かに持ってかれた。PEラインも巻いてからそんなに経っていない。

 

車に積み忘れた事に気付いてすぐ戻ったけどもうそこには無かった。30分も経ってただろうか。

 

悪いのは持ってった誰かか、それとも俺か。

 

 

まぁ、自業自得だろう。

 

そうやってまた自分に言い聞かせて感情的にならないようにしている。それでもやり場の無さに八つ当たりのするかのように警察に行って紛失届を書いて、そうしてもずっとモヤモヤしている。嫌だ。

 

たかが1~2万の釣具じゃないかと言われたらそれまでだけど、各地で釣りをしてきた数多くの思い出が、値段なんて関係なくしてる。

そもそも貧乏な釣り人にとって1~2万はとても高額だ。

売ってカネにしたのか、使ってるのかもわからない。それも嫌だ。

 

 

車に積み忘れなければ、いや、最初から釣りに行かなければ起こらなかった事。

こう、また勝手に疑心暗鬼になって、心荒んでく、自分を嫌いになってく。

今日行ってきた病院にも信用されず、社会的にも信用されず、行き詰まってしまうこの感覚。せっかく治ってきた右の耳、また聞こえなくしてやろうか、それとも今度は目を見えなくしてやろうか、そんなくだらない思考がやって来てしまう。そこまでするなら思い切って聞くも見るも超えて消えた方が賢明だとか、そんな事を思う。

こうやってわざわざ文章にしながら葛藤して、明日が来なくても良いと思ってる。自分には。

 

全ての人が、とは思わない。むしろ一部の人間は苦しみを知れと思う。

自分にとって大切だと思える人達が心から笑えたら、明日、一年後、十年後って、未来を楽しみに今夜布団に入れたならそれで良い。

 

自分はいつまで生きられるかわからない。

死ぬまでは生きる。そんな当たり前の事しか言えない。

こういう事を言う奴に限って長生きするって言うけどね。俺はそれを望んではいない。

 

明日じゃなくて良い、何ヶ月でも何年でも良いから、この先に何か楽しみを持ちながら生きてなきゃ、全然面白くない。

 

今の自分は、今日の事で精一杯だ。ノープランにも程があるけど、それでも明日の事を考える余裕が無い。

 

とにかく、嫌なんだ。