杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

後遺症

手のひらが化膿している。左だけ。

 

元から荒れ気味だったけど、軟膏を塗れば手首までビリビリと痛む。手相の線に合わせてひび割れ、つゆが出るようになった。そして右後頭部が毎日痛む。生きてるんだねぇ。

 

そん時は平気でも、こうやって後から不具合があるとあの時のやつか?なんて思ってしまう。

 

 

もう2月も終わりになる。

1月から何社受けても連絡が無い、不採用、そして一日で退職してくる。

苦痛な時間。医療費を軽減する為の受給者証が届かない。去年手続きしたのに、なぜ?問い合わせてもそろそろ届く頃なんですけど…などあやふやな回答。なぜ?日々は経ち今日もまた無駄な負担をしてきた。今月だけで15倍の負担だ。

 

 

一体なんで生きてる?

誰にも迷惑をかけないで生きるのは無理なのはわかる。それでも苦痛は苦痛。

心配かけた人、助けてくれた人、その人達に返していくのが俺の生きる意味。それも叶わないまままた今日も終わってく。

 

永遠に思えるこの時間、こうやって文章にしてみるしかできない。

自分の過去の記事は読み返さない。だから矛盾だらけだろう。その日その時に思った事を記事にしてる。

 

思うように動かない体、悔しいと思っていた。それはいつからか何も感じなくなった。

眠りに就く時、明日生きてるかわからないで寝る。

そういう日々を過ごしてきたから。血溜まりの中でうずくまり目を覚ましても、死んでない自分がいたから。そのままいれば死ねたものを這いつくばって階段を上った。死にたいんじゃない、生きたくもないって思う。

 

頭おかしいとか言われても、自分じゃわからない。いたって普通だと思ってる。

目の前で人がぐちゃぐちゃになって殺されてようが、別に何も感情的にならない。可哀想って、なに?ただ、そいつにはそれ以上の痛みと苦しみ、身から出た血の生ぬるさ、それを知って味わってみて、死ぬなり生きるなり選べよと思う。

 

魚を捌くのと一緒さ。

釣ってすぐ絞めて血を抜いてしまえば最小限の恐怖と一瞬の痛みで終わる。

釣って生きたまま袋に入れて持ち帰ると苦しみ、恐怖、そして最後には痛みが待ってる。

 

 

おんなじさ。

人だ魚だ関係ない。殺した奴が全て悪いと思わない。殺された家族は返せと声を大にして言う。世間的に被害者だから。訴えられる。カネを請求できる。でもそれで解決すんの?

じゃあ殺した側の家族は?もっと辛い思いをして生きてくんじゃない?殺人者の家族と言われながら。

 

どっちが辛いか、時に考えてみるのも大切だ。