杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

海の教え

好きな事を好きなままでいられるってすごく恵まれてる事。

 

俺は勘違いしてた。

音楽こそが自分の好きな事であり最も自分を表現できるものだと思ってた。

 

今でも好きに違いは無いけど、今思うのは、好きなようにやろうとしてもそれなりに制約や問題がある事に気付いた。

何も気にしないで好きなようにやれば良いじゃんと思う自分と、そうできなくなってる自分がいて、本当に好きなのかわからなくなってる。

どうしても心から面白くやれない何かがある。

付き纏う何か引っかかるものがある。

曲であれ、言葉であれ、人間であれ、自分の中で何か制御しなければならない思考になってる。

普段思う事を音楽にして表現すれば、どれだけ楽になれるだろう。

どうしても引っ掛かるものがあるから、いつからか自分の中でしか音を作り流さなくなった。

誰かに披露するのが全てじゃない。披露するのが当たり前、披露したいと思う、それはエゴだ。

 

もう音楽なんてやらない。とかそういう気持ちとはまた違う。

やりたいけどやれないでいる何かがある。

やりたい気持ちは消えてはいない。それでも何か、どす黒いものが頭の隅にあって消えない。

 

自分とはこうなんだって表現したい、承認欲求のようなものがあるんだと思う。

それでも付き纏って離れない何かがある。

表現する事は自由なはずなのに、どうしても不自由で窮屈に感じてる自分がいる。

 

マインドは自分でも変えられる。

今は毎日が何かしらの憂鬱との闘い。それも含めた全てを表現して形にして遺しておきたいと思う自分もいる。

こう思っていて、やらないでいる自分が嫌になる時がある。

 

 

こんなつまらない葛藤なんて知らずに何年も水中で食うか食われるかで生きてきた純粋な魚を騙し殺しては食べて生きてる。

 

それでも針に掛けると嬉しく感じる。重みに生きてる鼓動を感じる。抵抗を感じれば感じるほど夢中になってる自分がいて、きっと見たことの無いはずの空を見せてはすぐにナイフで骨も血管も神経も断ち切る。同じ赤い血を流して動かなくなる魚を見ながら、今日もまた、殺生してしまった。それでもこの命、無駄にはしないと誓う。だから生きてこられた現実。

 

今日もまた騙しに行く。

生命、今、命の危機を感じる事無く純粋に生きてる力を奪おうと狙い、頂戴しに海に向かう。

 

今の自分には、この生活が精一杯の本気だ。

生きる為に必要なのはカネだけじゃない。それを体現する。特に主張しようと思わない。

好きなはずの音楽で自己表現して、誰かの評価を得るのは今の自分では程遠い夢物語。

毎日を生きていればいつか、そういう余裕が生まれ心変わりするのかもしれない。

もし生まれなかったら、このまま。誰かの心揺さぶるような音楽、言葉も含め、自分にしかできない事があるとは思えない。もう既に名曲の数々がこの世には存在してる。自分と全く同じ気持ちを音と言葉で上手に表現してるアーティストもいる。本意かどうかまではわからないけど。

 

 

そろそろ夜が明ける。

今の自分にしかできないと思える事をやる。

今日も海に行ってくる。