杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

suimming

普通に仕事をして、普通にアパートを借りて、普通に支払いして、普通に飯を食って、いたって普通の日常を送っていたはず。

 

 

突然眠れない夜が来た。

あと何時間寝られるかって計算して焦り、外が明るくなるにつれて諦めになって、仕事に行く時間。

今日はきっとしんどいだろうなぁって行ったら、全然いつも通りで、そしてまた同じ夜明けが来ても、また全然いつも通りに一日が終わろうとしてる。

 

そこで思った。

 

睡眠って、必要か?

 

 

寝なくても普通が続いた。

過去の経験では中途半端に寝て仕事に行くと睡魔に襲われてミスったりしてきた。寝不足=ネガティブな想定が戸惑いながら変わっていった。

 

何事も無く過ごしていたある日、仕事中に火傷をした。

へぇーって感覚だけで、痛みは無かった。

帰って鏡で見て、え?これ大丈夫か?って思いながらシャワーを浴びたけど、平気。でも設定した温度と体感した温度が違う。

 

今朝炊いてった冷めたご飯、いつも通り電子レンジで温めたのに、あれ?

 

生卵にしょうゆを入れてかき混ぜる瞬間、いつもより多めに入れてしまった気がして、こりゃしょっぱいわとご飯にかけて味見するも、あれ?

てか卵もご飯も味がしない。白いご飯に黒みがかった黄色がかかっているはずなのに、わからない。溶接で目が悪くなったんだと一瞬思ったけど、温度も味もわからないっておかしい。それに火傷が痛くないのもおかしい。

 

 

そういえば、寝てない。

最後に寝たのっていつだっけ?

 

 

急に恐くなったのを覚えてる。それから先のちぐはぐな場面たち。

それって昨日だっけ?あれ、一昨日か?

いや、それとも去年の事?

 

 

 

 

インフルエンザにかかるのが毎年の恒例だった。

流行の時期は感染防止の為にマスクと手洗いをして、それでもかかっていた。面白いくらいに。

たちたちと鼻水が滴った年、割れるくらい頭が痛かった年、色んなパターンがあった。

 

ワクチンは感染の予防になるし、もし感染して発症したとしても症状が軽くなるよーって、テレビで見たり誰かに聞いたりしてた。

でも100%じゃない。

予防接種を受けた自分はマシでも受けて無い誰かが苦しむ可能性の方が嫌だった。

中途半端な薬に頼るくらいなら毎年2、3日うなされてから、今回はどの症状が強かったかって冷静に考える方が良かった。

 

今年はかかりたくないねぇ~なんて言いつつ、いつかかるだろうかって考えてた自分は、偽善って言葉を突き付けられても笑って流す余裕があった。

 

全ては人の為、一人でも多くの命を救う為、そう考え言う人達を否定はしない。

でもマウスとかさ、別の生命体、なんなら同じ人間までもが犠牲になっている現実に納得した上で、命の重みを表現して欲しい。

言葉はその手段の一つであって欲しい。

軽々と単語を並べてビジネスにしてしまう人間もいる。心に届いた、共感できると感情移入して洗脳されている人間もいる。

 

 

死んだらお星様になるんだってさ。

いや、死んだじゃなくて亡くなったと言うのが正しい日本語なのか。日本人なのに、わかんないよ。

 

命を救うって事は、星になれる機会を奪う事でもある。

 

こうやって裏、裏、裏ばっか読んで、ひねくれて、ほんとめんどくせぇ奴って思う。

 

星になれたかどうか聞いたって、返事がくるまで待つんだって、そうしてたら自分が星になってしまうよ。

声じゃなくてももう光って見せてくれてる。って納得できれば、自分はそれで良いと思ってる。正しいか間違いかじゃなくて、良いと思うか。

 

情報がこうやって見えてしまう今、何が正しいのか、誰を信じるべきかわからなくもなる。自分も迷い込んでる人間。

聞いた話なんだけど、だれだれがなんちゃららしいよって話がもし気になったんなら、え?そうなの?じゃあ確かめるーってできる。内容がどうあれ、真相を知る為ならできる行動の範囲内。

それをこのインターネットでやってしまうとどこの誰かもわからない中で疑惑が浮上し、気付けば周りから疑惑の目を向けられ、説得力を失った状態で火消しに追われる。収拾がついてもその後ずっと悪いイメージが付きまとう。もし何かあればあぁ、やっぱりね。じゃあ昔の件も実はそうだったんじゃないの?って掘り返される。

 

かわいいただの噂なんだから気にしないの。

インターネットが普及してから、確実にかわいいもんじゃなくなってる。行ける範囲であれば自分で行って見て確かめて判断する。その噂っていう情報が嘘か本当か。

 

わかりやすく表の言葉だけ聞こえたら、知れたらって思う。でもそうはいかない。

よく晴れた空の下を歩けばわかる。付きまとうものは、派手な服を選んでても同じ色をしてる。

 

そこに色があったら、気を確かに持つ事。

 

裏を知ってこそ表は光る。