杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

居場所について

9月半ばに佐渡を出て新潟に着いた。

ここから向かうのは北か南か、どうすべきか決めず、とりあえず富山の川沿いに車を停め、食える日も食えない日も適当にそこで暮らしてた。

 

9月末、また交通事故を起こした。警察沙汰となり居場所も生活も知られてしまった。

市役所や生活支援事業の方々が動き、10月から12月までの3ヶ月間、労働はできず施設で暮らす事になった。衣食住を整えて社会復帰していく為。

暮らしていた川沿いの、本当に目と鼻の先の建物。

 

決まった時間に朝食、昼食、夕食、そして就労に向けてのプログラム、集団行動。行き先や時間を記録する義務的なもの。義務的というか普通に考えて普通なことなんだけど、これが今の自分に足りない部分。

突き抜けるような青空に思わず行き先も時間も決めず散歩に行った。帰ってきたら、規則を守れないようなら出て行けと言われた。

自分にとって困ってるように見える人に今できる事をしたら、そういうのを偽善者というんだと言われた。

時間と行き先を記載して行って帰ってきたら、何も言わず勝手に一人で行けるんなら別にここに居る必用は無いんじゃないかと言われた。

 

その通り、何もしたく無くなってる。

 

 

施設に居る者の管理は賃金の発生している職員がすべきなのはわかる。それでも目の前で手首を切る人に対して見ないふりをしろと言われても、できないもんはできない。見えてしまったものを見なかったことにできるほど器用じゃない。

 

自分の動作一つ一つに自信を無くして、見たくないものが見えて、聞きたくないことまで聞こえてきて、狂ってる。

 

同じ地点で一変した生活。整えるはずの期間で崩れたものがたくさんある。

恵まれた生活なんだ。労働や収入が無くても洗濯ができ風呂にも入れ朝昼晩食べられる。

そんな中でどうこう言える立場じゃないけど、俺はこの生活が辛く苦しい。収入を得られない焦りが、寝ても覚めても念仏のように襲ってくる。

 

集団行動を避け、プログラムも拒む自分は、この生活に罪悪感しかない。今できる事、目に入った情報から選んだ行動は、偽善な行為と見なされ、嫌な言葉や態度で返ってくる。

できる事とすべき事の違いは何だ?

目を閉じて耳を塞いで、息を潜めている。もう一人の自分が出てこないように。

洗濯もせず風呂にも入らず飯も食わず、川沿いの暮らしと何ら変わらなくなった。布団に寝られるのと引き換えに、行動を失った。

 

用意してもらったこの場所を、居場所と思うことができないまま、11月になった。感謝はしている。俺のような人間一人の為に色々と動いてくれた人達に。

最低限どころか、最大限の生活だと思う。支払いさえ無ければ。

疑問で傷付く前に電話をすれば、話も聞いてもらえる。いつも、そんなのあまり気にするなよと言われる。聞いてもらえるだけだいぶマシだけど、気になってしまった以上、同じ建物にいる以上、この気持ちの消し方がわからない。

カエシのある針が刺されば簡単には抜けない。

 

青森から飛び出して何年か経つ。動き回って、どこよりも呼吸しやすいと思えた場所なのに、ほんの一ヶ月で薄れてる。同じ景色と同じ空気にいるのに、確かにそう思えたのに、簡単に歪んだ。

考え過ぎて、結局いつも支離滅裂な自分に、心底疲れている。呆れている。

 

人間と関わらないで生きて行くのは不可能。動物や植物のような純粋なものが側にいてくれても、生きてるだけで支払いをする必要がある。調達方法は様々、黙々と稼ぐなり人を騙すなり国の援助を受けるなり。

夢を実現させる為、現状を維持していく為、理由は様々、人はカネを得なければ生きていけない。働く社会に踏み込んだら、俺にとってそこは別世界。だからオンとオフの切り替えが絶対。

今、どっちにいるのかわからない。騙す気も無ければ援助される気もない。黙って稼ぎたくてもそれが許されない矛盾した現状。

 

場所じゃなく、人間だ。しがらみはつきものと、今なら割り切れる。

都会、田舎、日本、外国、どこだって良い。動けるんなら。