杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

病院、婆ちゃん、自分

漢方が効果を表すまで何ヶ月かかるでしょうか。

薬が効果を発揮するまで何十分かかるでしょうか。

 

 

今、まさに今すぐに効いてくれなきゃダメな瞬間がある。

抑え込まなきゃならない衝動をどうやって封じるか、これは深刻な問題。奥歯が欠けるくらい食いしばって、ようやく収まった後に待ってる虚無感は何日も続き、やろうとした事、やらなきゃならない事、何もやれず自己嫌悪。何回同じこと繰り返してんだろう。

 

 

治療って何だろう?根本を解決しなきゃ、薬は一時しのぎでしかない。何年も続けていれ

 

医学的理論、しばらく続けて様子を見るべきって、人によって状況も耐性も様々だ。その多様性を見極めるのがドクター、そう思ってしまうのは自分勝手で偉そうな事なのか?

 

 

去年の今頃は極限にいた。

口まで流れて入ってくる生ぬるい血を舐めて、平静を装いながらも取り乱してた自分の核心をドクターは見抜き、受け入れ、俺ごときのせいで何らかのペナルティが発生してしまうであろう事も、まず最優先すべきは命、それが医者の存在意義だと、最大限の対処をしてくれた。その度に救われたって安堵感と、申し訳無いなって罪悪感と、ごっちゃになりながらも帰り道は素で平静になれてた。

当時の状況や状態、疑問。何でも話せてた。何を言っても否定から入らない人だった。とにかく、話を聞いてくれる。それから必要な言葉をくれた。常に対等でいてくれた。

今でも感謝してる。仕事先が遠方になった時も、オンラインでの診療をしてくれた。いつもその日の発送に間に合うよう、しかも速達で必要なものを送ってくれた。

 

 

 

正直、それまで医者、病院を信用できなかった。診察中、診察室の奥から漏れて聞こえる患者を卑下した医師と看護師の会話。小声で笑う声。

 

結局はお仕事、人の為じゃなくカネの為、あぁいう頭おかしい奴らと自分らは住む世界が違うと、そんな差別的な声が聞こえてきた病院もあった。足を組み机に頬杖つきながら、あなたみたいな人間はどこの病院に行っても同じだって直接言われた事もあった。じゃあ今こうしてるのに何の意味がある?そう聞いたらちゃんと医師の処方箋が無いと薬出ないんだよ?だって。アホか。

 

婆ちゃんが死んだ時、俺が死亡確認をした。

淡々とした口調で時刻を読み上げ、死亡確認が取れたのでこれから安置室に移動させますので、あとはそちらで葬儀屋の手配と、ここにある生活用品類は撤去して下さい。そろそろ昼休憩に入るので。早めにお願いします。あ、こちら診察券お返ししますねって。

 

そのままどこかに運ばれてって、誰もいなくなったベッドの脇に残された俺は、診察券を見つめながら頭ん中まだ何も整理できて無い。特に感情的なものも無い。

ボケないようにと、お見舞いの時に持ってきたカレンダーとペン。それには毎日斜線が引かれてた。数日前まで。

下手くそな折り鶴も、捨てずに置いといてくれてた。

爪切りして、入れ歯洗って、寝ながらでも脚の運動させて、誰も見舞いに来ねぇって愚痴を聞いて、最後には少し長い握手をして帰る。振り返れば見えなくなるまでずっと手を挙げて笑ってた。

 

 

戦争を経験して、たくあん漬けて、ボタンの花が好きで、歩くのがやたら速くて、なぜかプロ野球とプロレスが好きで、本当に口うるさくて、身内もほとんど敵だらけで、それでもあぁやって80年以上生きた。震災の日、ワカメのカップ麺あったからこれ食うべって言ったけど、オラそったらの食ったごだねぇ!いらねじゃ!って言ってたけど、近くですすってるの見て、汁っこだけちょこっともらってみるかなって言うから、ちゃっかり麺と具も入れて分けたら、こったらの生まれて初めて食ったじゃとか文句言いながら、なんだかんだ半分ずつ食べた。

100まで生きるっていつも言ってて、それくらい余裕で、なんならこれから100年生きるんじゃなかろうかって思うくらいだった。だから歩けなくなったら終わりだぞって、退院してまた元のせかせか歩き回る小うるさい婆ちゃんに戻る前提でいた。

 

 

そんな思い出だらけ、最強の婆ちゃんだと思ってたのに、最後はこんなにもあっけなく、脆い。そして死亡確認が済めば物のような扱い。現実って、こんなもんか。どうだい婆ちゃん?今どこ?なんて、涼しい安置室で、一方的な会話、いや独り言を喋りながら葬儀屋を待った。

その日も、葬儀も、涙の一つ出なかった。悲しみを通り越して、いつまで続くかわからない入院のストレスから解放されて、むしろ楽になったろうって感じてた。もう二度と会えない、話せない、居ない、だからもう口喧嘩の一つできないじゃないかって、実感するまで半年かかった。

 

同時にあの最後の日の医師、看護師は果たして同じ人間なんだろうか?そんな不信感が芽生えた。婆ちゃんが死んだ事より、悲しく思えた。どうやって人間やってきて、どうやって人間やってくんだろうかって。

そっちが普通、一般的なんだったら俺は人間として見なされなくても良いと思った。

 

 

 

 

5、6年前に通ってた病院の待合室スペースでボケーとしてたら、診察室から大泣きしながら出てきた女の人がいた。月イチの通院で見た事がある人だったから、同じ通院スパンの人だったんだと思う。

けど、それっきり見なくなった。

 

治療を行う立場の人の言葉には、足を運びお金を払ってる以上、望むものがある。それは希望。

 

だから言葉一つで簡単に殺してしまえる事を、知って欲しい。