杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

這い上がり落ちる

気力を失っていく中、意を決して仕事に応募するも、また不採用。

全てにおいて申し訳ない気持ちだけが増していく。一体何やってんだって自分を問い詰めても、自分から目を逸らしてしまう。

 

本当に生きていけるだろうか。

本当にこの場所で自分と向き合いながら生きていけるんだろうか。

 

考えて考えて、そして考えて動いている。今できる範囲のこと全てやり切っている。

これでダメか、ならこうやったらどうか、それでもダメか、じゃあどうするか。

そうやって今日という一日を探しながら生きている。

 

今は眠ることが仕事なんだと言ってもらえた瞬間、救われた思いだった。

それでも屁理屈屋の自分は、布団に入るなり余計な事を考えた。仕事なのにカネにならない、眠ることは仕事ではないと。

 

睡眠に対して敏感で、今や執着のようになっている。寝てるのか起きてるのかわからない、夢なのか現実なのかわからない。

 

今、まさに今は現実だと思えた時を逃さないように動く。仕事というやるべきことを日常の一つに取り入れたい。それが叶えられない。カネを生まなければやりたいことはできない。それ以前に助けてくれた人達に返す事ができない。

これまでの人生を省みると、申し訳なさってものを全部消すことはできない。それでも一つずつ解消しながら、前を見て生きていこうと決めたのに。何も変えられないでいる現状が、自分を申し訳なさの塊にしてる。人間の形をして、食べさせてもらって、それでも何の糸口も見えない一日を繰り返してしまっている自分って、荷物でしかないなって思ってしまう。

嫌な自分とかじゃなくて、簡潔に自分が嫌。存在が嫌。

 

だから、生きていこう、生き直そうと思ったのは、夢だったんじゃないかって最近思う。

叶わないと後悔は別だ。

やり切ったんなら叶わない事を悔やんだりしない。

 

後悔しないように生きる。

それは生きて、後になってみなきゃわからない事。

だから、生きて確かめたら良い。その選択を。

 

 

 

この申し訳ないだけの物体は、生きている意味があるだろうか。

これから先を生きていく力があるだろうか。

また、わからなくなった。