杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

今日も一歩

踏み込んだぞ。今日を迎えそして今日を終えるぞ。と、朝イチが一番良い。

 

昼前の気の緩みか?

夕方あたりのオレンジ色か?

どこらへんで心荒んでるのか、まだわからない。これだ!今だ!ってのが無い。これじゃほんとに気分屋さんだわ。

 

 

子供もそうだ、いつどこで何がきっかけで人間性を変えてしまうんだろうといつも考えてしまう。

でもその答えは出ている。

気付いた時にはもう遅くて・・・って言うけど、当時の自分が全て決めている。取り巻く環境は十人十色、自分の色は通常、自分には見えない。見ようとして、それが見えた時、気付くきっかけをくれる。

 

 

 

自分の今の現状を深く、より深く考え、そして明日、明後日の事を考えていくにあたって、必要なものはただ一つ。

命。

これだけで明日って来るんだよ。

この命っていうもんは、適度に眠ること、適度に運動すること。適度に食べること。

こうするだけでより長い日数を生きる事ができる可能性が高まるらしい。

これで健康だったら良いけどね、足腰内蔵やってたら生き地獄だと思うんだよね。

それでも生きなきゃ!って思える人が長生きしてる世になりますように。

 

人が死ぬ。

それは大きな影響を与える。

事故でも自殺でも同じ。

失って得るものがある。

命だ。

こうなったら良いなぁっていうのを、この国の一番高い地位の人間に発言して頂く。そうすれば、明らかに思いのままの世界に変わるだろう。ただ、そこに至るまでをどうするか考える。まず無理な話だ。

 

地位もカネも無いところに生まれたこの命、何かに影響を与えるには説得力と行動力が必要。まずそれを得るには実際行動して証明する事。そして、生きてる事。

 

もし影響を受けてくれる人がいたならば、自分の影響を与えたいところまで、共に行動をして欲しい。もちろん生きて、何もかもを分かち合いたい。今、この吹いた風一つの感覚。

 

 

生きてるうちにしたいのは貯金、そして無病息災、定年後は厚年金やら個人で積立ててきたカネで凪の湖で無難に歳を重ねてくだけ?

 

それで良いのか?

 

それが将来の理想No.1だとしても。

 

1回だぞ?

 

行ってみたかった、やってみたかった、知らなかった。

 

1回だぞ。その命。

 

 

 

 

 

 

この凡人が死ねば知ってる人が一瞬え・・・?ってなって、いつかこれタブーねみたいになるのは嫌なんだよな。というか、ネタにしてもらわなきゃ!もし数多き思い出の片隅に、そういやいたなこいつってなった人。ありがとう。あとはもう、好きな素材として使ってくれ。

ただ星マーク標本とかはちょっと縮んで160×160くらいになるから、だいぶスペース食うな(笑)二枚貝にしたらどんなナイフも入らないようにする。波になったらいつもの寄せ返しやってるとこに釣り人来たらそこに一箇所だけのスペシャル離岸流になってチャンス作るよ。でもまぁ、よく使われるようなメルヘンチックな夜空のあの星にはなれない(笑)

あれ、質の知れない石の塊だよ?危ねぇじゃん。

鳥になれたら雨雲に入ってって、湿気を感じてみたい。

羽毛、クネクネになるべか?そのまま空高く、その時は鳥だけど呼吸のできるギリギリまで行ってみたい。

 

 

今人間として生きてる以上、妄想の中のわけのわからん事はできない。物理的にも無理。

でも知らないことを知ろうとするって、凄いことであり、大事なこと。

 

想像を一方的に膨らましてるより、日々創造して行動していたい。

力が無いんなら、力を借りる事も考えられるながら、迷惑は最低限に抑えて、自分にできる事は何かを、もう少し考えたい。恩返し、償いも含めて。

 

 

寄り掛かってる壁を、歩ける床に変えようか。

 

それくらいしないと、生きた爪痕が残らないだろう。

 

そこまで残したいわけでも無いんだけど、達成はしたい。

疑問ばっか浮かんできて、答えを探すのに疲れてんだよ。それを海の生きた水が中和してくれるから、今居ても良い場所に戻って来られてる。

必要となれば、すぐ行ける。

 

グローバルな社会、距離は関係ないなんて言うけど、関係なくは無い。すぐ行けなきゃ間に合わない事はたくさんある。

 

 

生身はここに一つしか無い。