杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

ある程度の所持金は必要

ようやくカネが入った。全額おろしてあちこち走り回ってきた。

帰り、財布の中身を見たら千円札が一枚。終わってる。

 

好きなもの欲しいものに費やしたんじゃない。支払うべきものを支払ってきただけ。それでこうなる。

楽しみなんてタバコくらいしか無かったけど、いよいよそれすら許されないんだな。生き辛い。

こんなんじゃないはず。生きるって事。

働いて得たものを費やすのは、楽しみな事。もちろん払うべきものは払ってる上で。

 

働いてなければ、楽しみに費やす事ができない。理屈は間違ってない。でもあんまりだ。

考えてみればそうだ。楽しみが無いのは単純にカネが無いからだ。何をするにもどこへ行くにも最低限のカネが必要。

外食なんてできない。本当は必要な欲しいものが買えない。誰かを誘えない。誘われても行けない。そもそも何が一番食べたいのかわからない。人間の三大欲求すら奪ってしまう、カネ。

ってか最近発熱したんだけど、その前日から排尿痛が半端ない。熱下がって二日か三日経つけど痛い。特に夜中起きてしまった時かな。寝て座って寝て座って繰り返して、それでも痛いから車に乗って裏道を行き夜風浴びて一服してごまかして帰る。薬が効いてる真っ只中だから危険なんだろうけど、そうしないとどうしようもないくらい痛い。でも何となく覚えてはいる。病院行け!って話だけど、行けねぇんだよカネが無いから。とっくに入院しろって話は出てそれもカネの都合で白紙だ。痛くなくなるまでは危険物が近所を徘徊するかもしれない。声掛けとかそういうんじゃなく。単に危険運転者。どこに突っ込むかわからない。夜中は出歩かずおとなしく眠るのが一番。俺も早く元に戻りたい。朝起きて、寝ぼけながら仕事の準備して、昼休みに軽く昼寝して、午後の一頑張りで仕事を終え、腹減った〜とメシを食い、一風呂浴びてガーと寝る。そんな当たり前だった日々に、戻りたい。

自分じゃ普通にしてても、周りから見たら異常。そうなった時から何をしても自信が無くなり、劣等感が嫌で外からの情報はシャットアウト。徐々にそれは罪悪感になって自分を責めた。そしたら自暴自棄の絶望感が待ってた。で今、その絶望感すら超えて、虚無感を迎えつつある。自分て人間なんだっけかて、劣等感からまた考え出して、それを繰り返してる。

地球も回ってるんじゃなかったっけ?

そんな言いがかりをしながら、日々過ごしている。

 

 

面白くしたいならバカになれ。

 

バカになり過ぎたようだ。人によっては面白いネタになると思う。これまでの事を聞いたらウケるって人もいると思う。

でも俺は、いたって真剣に、今きっとヤバい状況にいる。二ヶ月分の支払いする分は銀行に入金したから問題無いけど、弁護士事務所に払うカネが無い。次の病院代が無い。次入れるガソリン代が無い。ちょっと待って、次のタバコ代が無い。一ヶ月分の支払い分でなんとかしのげなくは無い。でもそしたら一ヶ月滞納のまま次は三ヶ月分の支払いを入金しなければならなくなる。当然足りなくなって、しかし無いから払えない。分かりきってるから、虚無感にもなる。

得るカネを増やす事しか解決できる策は無い。前向きに考えれば、カネを得れば解決できる。

 

そう、得るカネを増やせば良い話。

バリバリ仕事やれんのかって言われると、できないのが現状。俺にできる範囲は今とても狭い。毎日布団から出られるかどうか、まずそこからだ。行く気マンマンで行けない時が必ず来る。この約一年を通して思う。別に何か予定があるわけでもない日なのに、天気も良いのに、動けないまま暗い部屋で一日を終える。こんなんが何度もあった。

一日行動して次の日稼働せずその次の日また行動する。壊れかけのモーターみたい。

その日になってみないとわからない事ばっかり。抜群に調子良いと言った次の日にスマホすら見なかったり、気分屋ともこれは違うんじゃないかなぁ。

 

自分の事なのに、わからない事だらけ。

 

 

 

大切な一人の人間

赤ん坊を、ぷにぷにさせておくれ。

 

 

俺が言うとちょっと危ない的な感じに思われるかもしれないけど、決して変質者的な感じじゃなく、純粋にそう思った。

 

回想ばっかり。でもそうしてないとこの24時間は果てしなく長い。

 

 

もう3年も経つか。

ちょうど今のこの時期、福島の磐梯山、某リゾートホテルでぴこと一緒に住み込みで働いてた。

皿洗いと客室清掃。初めての客室清掃、特にベッドメイクが何種類もあって覚えるまで大変だったけど、いかに速く綺麗にするかって考えながらやると最終的には楽しくなってた。皿洗いはシンプルに、気付けばビタビタの汗だくになってて、それもまた良い運動と捉えれば楽しかった。

 

 

そこで働く20歳の女の子がいた。

朝食のレストランや調理場からやってくる食器や何やらの山の中、たまに生クリームがやって来ると俺はそれをパクッとやって、それを見るなりデ〜ブ!と言う。仕事終わり同じ寮のロビーで、もう18時?よし俺は寝る時間だ!と言えばジジ〜!と言う。

クソ忙しい中でも、仕事終わりのくつろぎの中でも、そのやり取り一つ一つが面白かった。

 

俺なんかより何倍もの仕事量をこなし、やる事ちゃんとやらなきゃ気が済まないやつだった。

10コも年下だけど、すんげぇやつだと、俺はそこの現場の誰より信頼してた。心配もしてた。

 

 

 

ある日、動物園か水族館かどっちか、来月休み合わせて行くかってなって、一泊二日で仙台に行ってきた。

周りでは色々な憶測が飛び交っていたが、今思えばそりゃそうだよなって思う。男と女、しかも泊まりって何も無いわけが無いだろうと茶化されたりしたけど、いたってそういうのは無しで。

 

しっかり定職に就いて立派な社会人になるのは悪くない。自分も初めて就職した時はそうなってく気でいた。けど仕事漬けになるとプライベートの時間まで仕事の事で頭がいっぱい。洗脳。そうなって欲しくなかった。こんなアホなままでも30歳を迎える奴がいるんだぞって、行って帰ってくるまでは仕事の事を忘れさせてあげたかった。オンとオフの切り替えがどれだけ重要か。だから、戸惑わせてしまうのはこの気晴らしの趣旨が意味を失ってしまう。

 

まずは宿も取らずに車中泊。当時はワゴンRだったっけか。この車で俺がこれまで日本ぐるぐるとしながらこうやって寝泊まりしてきたんだって事を経験してもらった。さぞかし寝づらかったろうに、ごめんな。

スーパー銭湯に行ったり、海で魚を釣ったり、そして水族館に行って、水中の世界を歩いた。お土産コーナーでダイオウグソクムシを気に入った、その意表を突くセンス、さすがだ。

 

こうやって文字打ち込んでると、どんどん思い出してしまうな。

 

 

会津のペットショップ前にあるガチャガチャ、間違って50円玉入れてもうたって、失敗したと思いきや永遠にガチャガチャが回せてしまった。結果的に失敗じゃなかった。二人してヤベェヤベェ言って回した。

部屋の窓にカメムシがおるって言われ出動したり、たまたま会津若松の祭りに遭遇したり、どっかでプレミアムな車のスマホ充電器買ってきてくれたり、体調不良で早退したって聞いたから寮に戻ってみたらロビーのソファーでぐったり横たわってて、部屋まで担いで送ってったり、何か食わんとアカンでーって、チャーハンおにぎり作ってくれたり、クーラーボックス貸したらメモ紙に、ありがとう。byピッチピチのハタチより、、、とか、そういう何でも無いような事が面白いんだ。

 

 

たった三ヶ月の任期だったけど、仕事面でもプライベート面でも思い出そうとするとまだまだ出てきてキリが無いや。

 

そうだよ、キリが無い。

 

 

それから二回くらい会ったか。佐渡に行って何か面白い事して移住するって勢いだけで行って、結局仕事も決められずたった三ヶ月で戻ってきてしまって、新潟市からそのまま福島直行して、会津かっぱ寿司で待ち合わせて、色んな話とかして帰った。そっから一年半くらい経った時かな?喜多方のガストでお互いの色んな話をしたけど、少し大人になって、そして以前から心配してたような、深い葛藤も感じ取れた。

あの時、俺に何かできる事があったんじゃないかって考えながら帰ったのを覚えてる。

 

 

 

その責任感の強さと目の前にある物事に対する真っ直ぐな意識の持ち方。

 

一見底抜けに明るくて何でもできて、強いねって思われてると思う。だからそうでいなきゃって、常に気を張り詰めてさ。

でも誰にも見せない弱さ脆さも持ち合わせてる。あくまで直感だったけど、確信した。

 

この先、その努力が報われて欲しい。

 

 

 

なんて思ってたら、3年後の今、まさか母ちゃんやってるとは全く想像してなかったよ。

 

 

まだ今はピッチピチかもしれんけど、あと7年もすれば子供も小学生、そして散々ジジィジジィ言ってた30代。 

 

そしたら10年越しのお返しをしてあげよう。声を大にして〇〇ァと言ったろう。

 

 

 

俺なりの、感謝と愛を込めて。

 

NPK

失敗は成功の元。

 

難解な問題を解き明かして、はい終わりにはなれない。引き続き追求する。成功を新しいスタートにして、また難題を試行錯誤していく。

 

求められるものを満たしていれば、この社会では無難に生きていける。

え?こんなもんで良いの?って思いたくない。それと、まぁこんなもんでしょって言われたくない。

自分を否定してしまう。代わりなんていくらでもいる。同じ構造の生き物、得意不得意はある。向き不向きも確かにある。継続していれば大体同じようにできるようになる。

 

最初からできない無理ありえないと思うのは、やってないから。

めんどそう、疲れそう、危なそう、そして自分には向いてないと決め付けてしまったらそこまで。

実際一通りやってみて全然ダメだった、だからできない。それは自分にもたくさんある。でももう1回やってみる傾向が自分にはある。でも結局同じ事を繰り返してダメなままな事がたくさんある。

 

自分は説得力のある人間になりたい。タバコの吸い殻をポイッとした人が、ゴミは捨てちゃダメって言ったところで何の説得力も無い。そんな大人は無限大の可能性を持って生まれてくる子の親になるべきでは無い。

 

車通りの少ない交差点の信号、横断歩道の向こう側には信号機が青になるのを待っている子供たち。

赤なのに平気な顔して横断する大人。

それを見てた子供は、どんな気持ちで大人になってくかな。

 

急いでいたからとか、車が来てなかったからとか、言い訳をする。

コンビニ弁当や飲料のゴミを袋に入れ、わざわざ口をしばって、その場に捨てる。誰かが片付ける事まで考えられない大人。

モラル、常識、マナーって何?

 

数年振りの八戸、太平洋の海。

毎年いつも夜な夜なひっそりと釣りを楽しんでいた場所に行ってみると、立ち入り禁止になっていた。

あそこは釣れるって情報が拡散されれば、当然そこに色んな人がやってくる。その中の一部のマナーが悪ければ、すぐにこうなってしまう。歩き回ってようやく見付けたポイントも、これまで何度も立ち入り禁止になってきた。ゴミのポイ捨て禁止って看板立てたって、変わらない。だからもうそれを省略して入れなくしてしまう方が手っ取り早い。

 

もう10年くらい前だったろうか、陸奥湾夏泊半島に行った時、八戸ナンバーを見るなり漁師がやって来て、ゴミ捨ててくなよとか、船のエンジン盗むなよって、散々言われたけど文句は言えなかった。自分はやらないとしても、誰かが前例を作ったんだろう。

 

八戸には舘鼻漁港という場所がある。初めて海釣りしたのもそこだった。

メジャー中のメジャーポイント。新井田川馬淵川が注ぎ、釣れる魚の種類も豊富だ。

ある日、係留されている漁船の際を慎重に探っていたら、デッキ上で、ツマミを食べながら酒を飲みタバコを吸って、それら全てを海へ放り投げた。さらに立ちションまでして、本当に嫌な気分になった。

 

八戸港内は底が泥質。しかもヘドロのように悪臭がする場所もある。不法投棄された物の一部が引っ掛かって釣れる事も多い。

 

沖縄、北海道、四国を除いた国内の海沿いを釣り歩いてみて感じたのは、八戸はトップクラスでマナーが悪いという事。痛いほど感じた。みんなやってるのに何で自分だけ悪者にする?って考え方の大人が多いと思う。

注意すればトラブルになる、面倒。だから見て見ぬふりをする。

 

子供はそれをしっかり見てる。

でも、あぁ別に捨てても別に良いんだと勘違いしたまま育っていく。

せっかく海沿いに住んでるのに、もったいないと思う。内陸に住んでいる人からしたら海は滅多に来られない場所。そこをゴミまみれの海で迎えるのは悲しい事だと思う。

 

自分は釣り人の一人、捨てたら拾う人がいる事を忘れてはいけない。焼酎のワンカップを海に捨てた爺さんに聞いた。何で捨てた?って。ヘラヘラと、大丈夫、自然に分解される、海は広いんだ!などと屁理屈こいて怒っていた。

 

 

心が荒む。

気持ちが萎える。

 

社内恋愛は禁止だと言いながら不倫してる奴。それはどうなの?恋愛ではないから良いの?帰れば待ってる人がいる。それが普通だという考えは改めて欲しい。

まだ好き勝手やりたいのなら、家庭を持つべきじゃない。バレてなくたって、裏切ってる。

 

失ってから気付いたって、取り戻せない。

それをいつまでも引きずって、自業自得。

失敗は成功の元。

これからを、考えて考えて考えて、悩めば良い。悩めるのは、選択肢と可能性がたくさんある喜ばしい事。前向きに捉えてみれば。

 

悩みを抜けたら、次は迷いのステージ。

やるか、やらないかの二択。やられたら、それはやった証。やらなければ良かったと後悔して嘆くか、良い経験になったと次に活かそうとするか。

やらない選択は、後悔しない自信があるのなら良いと思う。あとは自分との闘い。

 

 

 

自分は、今やれる事をやると決めた。

どんな結末であれ、やらないまま時間だけが経っていくのは耐えられない。自分が見えなくなる。生きてる実感も無くなる。

 

たかが知れたような事でも、あえて追求したらどうなるか、知ろうとしてる。

 

病院、婆ちゃん、自分

漢方が効果を表すまで何ヶ月かかるでしょうか。

薬が効果を発揮するまで何十分かかるでしょうか。

 

 

今、まさに今すぐに効いてくれなきゃダメな瞬間がある。

抑え込まなきゃならない衝動をどうやって封じるか、これは深刻な問題。奥歯が欠けるくらい食いしばって、ようやく収まった後に待ってる虚無感は何日も続き、やろうとした事、やらなきゃならない事、何もやれず自己嫌悪。何回同じこと繰り返してんだろう。

 

 

治療って何だろう?根本を解決しなきゃ、薬は一時しのぎでしかない。何年も続けていれ

 

医学的理論、しばらく続けて様子を見るべきって、人によって状況も耐性も様々だ。その多様性を見極めるのがドクター、そう思ってしまうのは自分勝手で偉そうな事なのか?

 

 

去年の今頃は極限にいた。

口まで流れて入ってくる生ぬるい血を舐めて、平静を装いながらも取り乱してた自分の核心をドクターは見抜き、受け入れ、俺ごときのせいで何らかのペナルティが発生してしまうであろう事も、まず最優先すべきは命、それが医者の存在意義だと、最大限の対処をしてくれた。その度に救われたって安堵感と、申し訳無いなって罪悪感と、ごっちゃになりながらも帰り道は素で平静になれてた。

当時の状況や状態、疑問。何でも話せてた。何を言っても否定から入らない人だった。とにかく、話を聞いてくれる。それから必要な言葉をくれた。常に対等でいてくれた。

今でも感謝してる。仕事先が遠方になった時も、オンラインでの診療をしてくれた。いつもその日の発送に間に合うよう、しかも速達で必要なものを送ってくれた。

 

 

 

正直、それまで医者、病院を信用できなかった。診察中、診察室の奥から漏れて聞こえる患者を卑下した医師と看護師の会話。小声で笑う声。

 

結局はお仕事、人の為じゃなくカネの為、あぁいう頭おかしい奴らと自分らは住む世界が違うと、そんな差別的な声が聞こえてきた病院もあった。足を組み机に頬杖つきながら、あなたみたいな人間はどこの病院に行っても同じだって直接言われた事もあった。じゃあ今こうしてるのに何の意味がある?そう聞いたらちゃんと医師の処方箋が無いと薬出ないんだよ?だって。アホか。

 

婆ちゃんが死んだ時、俺が死亡確認をした。

淡々とした口調で時刻を読み上げ、死亡確認が取れたのでこれから安置室に移動させますので、あとはそちらで葬儀屋の手配と、ここにある生活用品類は撤去して下さい。そろそろ昼休憩に入るので。早めにお願いします。あ、こちら診察券お返ししますねって。

 

そのままどこかに運ばれてって、誰もいなくなったベッドの脇に残された俺は、診察券を見つめながら頭ん中まだ何も整理できて無い。特に感情的なものも無い。

ボケないようにと、お見舞いの時に持ってきたカレンダーとペン。それには毎日斜線が引かれてた。数日前まで。

下手くそな折り鶴も、捨てずに置いといてくれてた。

爪切りして、入れ歯洗って、寝ながらでも脚の運動させて、誰も見舞いに来ねぇって愚痴を聞いて、最後には少し長い握手をして帰る。振り返れば見えなくなるまでずっと手を挙げて笑ってた。

 

 

戦争を経験して、たくあん漬けて、ボタンの花が好きで、歩くのがやたら速くて、なぜかプロ野球とプロレスが好きで、本当に口うるさくて、身内もほとんど敵だらけで、それでもあぁやって80年以上生きた。震災の日、ワカメのカップ麺あったからこれ食うべって言ったけど、オラそったらの食ったごだねぇ!いらねじゃ!って言ってたけど、近くですすってるの見て、汁っこだけちょこっともらってみるかなって言うから、ちゃっかり麺と具も入れて分けたら、こったらの生まれて初めて食ったじゃとか文句言いながら、なんだかんだ半分ずつ食べた。

100まで生きるっていつも言ってて、それくらい余裕で、なんならこれから100年生きるんじゃなかろうかって思うくらいだった。だから歩けなくなったら終わりだぞって、退院してまた元のせかせか歩き回る小うるさい婆ちゃんに戻る前提でいた。

 

 

そんな思い出だらけ、最強の婆ちゃんだと思ってたのに、最後はこんなにもあっけなく、脆い。そして死亡確認が済めば物のような扱い。現実って、こんなもんか。どうだい婆ちゃん?今どこ?なんて、涼しい安置室で、一方的な会話、いや独り言を喋りながら葬儀屋を待った。

その日も、葬儀も、涙の一つ出なかった。悲しみを通り越して、いつまで続くかわからない入院のストレスから解放されて、むしろ楽になったろうって感じてた。もう二度と会えない、話せない、居ない、だからもう口喧嘩の一つできないじゃないかって、実感するまで半年かかった。

 

同時にあの最後の日の医師、看護師は果たして同じ人間なんだろうか?そんな不信感が芽生えた。婆ちゃんが死んだ事より、悲しく思えた。どうやって人間やってきて、どうやって人間やってくんだろうかって。

そっちが普通、一般的なんだったら俺は人間として見なされなくても良いと思った。

 

 

 

 

5、6年前に通ってた病院の待合室スペースでボケーとしてたら、診察室から大泣きしながら出てきた女の人がいた。月イチの通院で見た事がある人だったから、同じ通院スパンの人だったんだと思う。

けど、それっきり見なくなった。

 

治療を行う立場の人の言葉には、足を運びお金を払ってる以上、望むものがある。それは希望。

 

だから言葉一つで簡単に殺してしまえる事を、知って欲しい。

 

 

夏の去り際

9月の終わりの晴れた今日、まだいるよって陽気な日差しが言ってた。その熱が届く前に、新しい風が颯爽と包む。強い光は届いてる。しかし熱に力を感じない。

 

暑くない。寒くない。何を着てるかすら忘れてしまうくらいの適温。ちょうど良いって、すごいなってつくづく思う。

 

朝方は冷える。きっと、あっという間に冬になる。去年、吹雪の峠を抜けてきたのも12月の冬の日だった。

 

また季節が変わっていく。

次は夏だっけ冬だっけって、思考が追い付かない時がある。

自分の中でも確実に何かが変わっている。

 

 

この一年は、自分の中の概念を覆しながら生きてきた。

限界はわからない。わからないけど、

 

想像での否定、会話の始まりからそう入ってくる人間が嫌いだ。

覆してしまいたいけど極力それは自分がすべき事では無いのではと感じる。

本人が気付けるように、そこでハッとしてもらえたら、それが本望。

 

 

生きる-命=死んでる+知らない世界

 

生きている、ただそれだけで幸せな事、そうは思わない。痛くて苦しい、いつまで耐えなきゃならないかわからないのは辛い。それを未知の領域に希望が見えてるのなら、死ぬ選択が間違いだと思わない。辿り着いた覚悟に、深くを知らない者が簡単に死ぬのは良くないとか、人生これからなのにもったいないとか、不用意な説得はするもんじゃない。形だけの引き留め、それはもはや失礼。

もうとっくに這いつくばって通り過ぎて来てる。そこらへんの葛藤とは。

もっと先を見据えてる。天国か地獄かとか、そんなんじゃない、ただただ未知の領域。

死んだら身体は物体になって同時に存在が無くなる。じゃあこの気持ちってものも同時にパッと消えてくれる?それならば迷いは無い。

でももし何処かで永遠に消えず渦巻き続けるのなら、今からを変えていけたらと思える。

 

どういう形であれ、消えるか消えないか、死んでみなきゃわからない事。皆、逃れたい衝動と楽になりたい衝動で死んでく。でもその先どうなったか本人しか知れない。数秒前まで生きてた死人に聞いたって、何も返って来ない。もう死んでるから。死んじゃえばもう何も言わないし表情も無い。あとは腐敗してくだけの有機物、生ゴミ。言い方は汚いかもしれないけど、現実。リアル。

 

その冷たくて無表情になってしまった本人の周囲で何が起こっているか?

答えはわからない。

 

死ぬまで言わぬと言ったまま、死んだら言えもしない。

本当は言いたかったのか、本当に言いたくなかったのかすら、わからなくする。

これが死の現実。

いつも通り、昨日までくだらない話しながら笑ってたのに、なんで?

そう話し掛けても、揺さぶろうがつねろうが、何の反応も無いから、わからない事がわからないまま消化できず悔しさだけ置いてってさ、この謎に首を傾げながら自分が死ぬまで生きていく。

受け入れられない現実だとしても、現実は一秒一秒、淡々とした現実を与え続ける。

 

なぁ海よ。

寄って返ってって、いつまで続ける気?その波の音で俺の中にある良い記憶も悪い記憶も一度、全て流してくれないか。

 

色んな事を考える9月の終わり

八戸に戻ってから9〜10ヶ月経つ。

 

会いたい人にしか会わないようにしてる。

それとまだ、会って話をしたい人がいる。きっかけがあればだけど。

 

今後について考えてみても、何も見えて来ない。あんなに探し回っては次々と面接して、約束した日に合否の連絡が来ない。ただそれだけなのにとてつもなくしんどい。結果がわからないから次を探して良いのか、そう思ってる時点で遅れて合格の連絡が来てもモチベーションは無いに等しい。

そんな感じで過ごしてたら、仕事探す上で何を重視してるのかわからなくなって、応募する自信と気力を失った。仮に採用になってもやれる気がしない。ぼーっと焦点の合わない目で、自分って何してるんだろう?そうなるのがわかってる。

これってもしかして、働きたいのに働けないんじゃなくて、働ける条件は限られてるとしても一応は働けて、それでも仕事探しすら曖昧になってる自分は完全なニートなんじゃないかって最近思う。

だったらその気が出るまでは生活保護受けても悪くは無いんじゃないか。とか、考える。入ってくるものが無くても出て行くものは変わらない。毎月それで憂鬱になってるくらいなら、今は治療の為、働けませんと堂々と受給して最低限払うべきものを払う方がよっぽどマシなんじゃないかって思う。

 

自分は病気だから...って、それを言い訳にしたくなかった。一般的には病気に分類されるのかもしれないけど、自分的にはいたって普通で、これが俺の性格よと言い聞かせてきた。でも実際コントロールが効かない、加減がわからなくなる自分がいて、他人が普通じゃないと見なすんなら、やっぱり病気なんだなってようやく観念した。悔しいけど、できてた事ができなくなってたり自分でも何で?って事してたり、自分は大丈夫って言いながら誰かに迷惑かけるのは嫌。迷惑かけずに生きるのは無理だってわかってるけど、自分でも気付けるような迷惑は本当にかけたくない。

 

こうして考え出すと、安易な行動はできなくなる。つまり仕事が決まったところで発作的にやってくるアレで欠勤やら作業してもミスやら、今はトラブルが起きるのを避けられないと思う。だから今どうすべきか考えても、わからなくなる。

 

何にしてもカネが必要。食べるのにも移動するにも好きな事やるにも。だから働かなきゃならないってのが精神的に強く圧迫してた。

せっかく雇ってくれても自分のせいで損失に繋がるくらいなら、国の制度を利用してカネを工面する方が賢明な判断かな?って思えるようになってた。

 

しかし自分に車の無い生活。それは現状考えられない。予測できるのは余計に塞ぎ込む事。これを避けなければ、きっと現実から逃げ出してしまう。気が狂って消えてしまう。

 

全てに20〜30%で臨んだら良いのに、100%か0%、そうやって極端なんだ。疲れるのは。

 

ずっと眠っていたい

何時に寝たのかわからんけど、さっき起きて目が冴えて眠れない。一ヶ月丸々寝て、一ヶ月活動して、また一ヶ月丸々寝るのが今の自分にはベストだ。金銭的に。

あー、早く効いてくれよ、薬。

 

薬って、楽しいに草冠って書くけど、まんまだよね(笑)まぁ、起源が薬草だったんだろうね。

 

なぜこんなにも計画性が無いのか、ほんとなんで?あんなに探してた仕事、今ほとんど探さなくなった。それでも出ていくものは出ていく。

 

生きるなら、善悪言ってられないわな。もっと追い込んで必死になれ自分。