赤ん坊を、ぷにぷにさせておくれ。
俺が言うとちょっと危ない的な感じに思われるかもしれないけど、決して変質者的な感じじゃなく、純粋にそう思った。
回想ばっかり。でもそうしてないとこの24時間は果てしなく長い。
もう3年も経つか。
ちょうど今のこの時期、福島の磐梯山、某リゾートホテルでぴこと一緒に住み込みで働いてた。
皿洗いと客室清掃。初めての客室清掃、特にベッドメイクが何種類もあって覚えるまで大変だったけど、いかに速く綺麗にするかって考えながらやると最終的には楽しくなってた。皿洗いはシンプルに、気付けばビタビタの汗だくになってて、それもまた良い運動と捉えれば楽しかった。
そこで働く20歳の女の子がいた。
朝食のレストランや調理場からやってくる食器や何やらの山の中、たまに生クリームがやって来ると俺はそれをパクッとやって、それを見るなりデ〜ブ!と言う。仕事終わり同じ寮のロビーで、もう18時?よし俺は寝る時間だ!と言えばジジ〜!と言う。
クソ忙しい中でも、仕事終わりのくつろぎの中でも、そのやり取り一つ一つが面白かった。
俺なんかより何倍もの仕事量をこなし、やる事ちゃんとやらなきゃ気が済まないやつだった。
10コも年下だけど、すんげぇやつだと、俺はそこの現場の誰より信頼してた。心配もしてた。
ある日、動物園か水族館かどっちか、来月休み合わせて行くかってなって、一泊二日で仙台に行ってきた。
周りでは色々な憶測が飛び交っていたが、今思えばそりゃそうだよなって思う。男と女、しかも泊まりって何も無いわけが無いだろうと茶化されたりしたけど、いたってそういうのは無しで。
しっかり定職に就いて立派な社会人になるのは悪くない。自分も初めて就職した時はそうなってく気でいた。けど仕事漬けになるとプライベートの時間まで仕事の事で頭がいっぱい。洗脳。そうなって欲しくなかった。こんなアホなままでも30歳を迎える奴がいるんだぞって、行って帰ってくるまでは仕事の事を忘れさせてあげたかった。オンとオフの切り替えがどれだけ重要か。だから、戸惑わせてしまうのはこの気晴らしの趣旨が意味を失ってしまう。
まずは宿も取らずに車中泊。当時はワゴンRだったっけか。この車で俺がこれまで日本ぐるぐるとしながらこうやって寝泊まりしてきたんだって事を経験してもらった。さぞかし寝づらかったろうに、ごめんな。
スーパー銭湯に行ったり、海で魚を釣ったり、そして水族館に行って、水中の世界を歩いた。お土産コーナーでダイオウグソクムシを気に入った、その意表を突くセンス、さすがだ。
こうやって文字打ち込んでると、どんどん思い出してしまうな。
会津のペットショップ前にあるガチャガチャ、間違って50円玉入れてもうたって、失敗したと思いきや永遠にガチャガチャが回せてしまった。結果的に失敗じゃなかった。二人してヤベェヤベェ言って回した。
部屋の窓にカメムシがおるって言われ出動したり、たまたま会津若松の祭りに遭遇したり、どっかでプレミアムな車のスマホ充電器買ってきてくれたり、体調不良で早退したって聞いたから寮に戻ってみたらロビーのソファーでぐったり横たわってて、部屋まで担いで送ってったり、何か食わんとアカンでーって、チャーハンおにぎり作ってくれたり、クーラーボックス貸したらメモ紙に、ありがとう。byピッチピチのハタチより、、、とか、そういう何でも無いような事が面白いんだ。
たった三ヶ月の任期だったけど、仕事面でもプライベート面でも思い出そうとするとまだまだ出てきてキリが無いや。
そうだよ、キリが無い。
それから二回くらい会ったか。佐渡に行って何か面白い事して移住するって勢いだけで行って、結局仕事も決められずたった三ヶ月で戻ってきてしまって、新潟市からそのまま福島直行して、会津のかっぱ寿司で待ち合わせて、色んな話とかして帰った。そっから一年半くらい経った時かな?喜多方のガストでお互いの色んな話をしたけど、少し大人になって、そして以前から心配してたような、深い葛藤も感じ取れた。
あの時、俺に何かできる事があったんじゃないかって考えながら帰ったのを覚えてる。
その責任感の強さと目の前にある物事に対する真っ直ぐな意識の持ち方。
一見底抜けに明るくて何でもできて、強いねって思われてると思う。だからそうでいなきゃって、常に気を張り詰めてさ。
でも誰にも見せない弱さ脆さも持ち合わせてる。あくまで直感だったけど、確信した。
この先、その努力が報われて欲しい。
なんて思ってたら、3年後の今、まさか母ちゃんやってるとは全く想像してなかったよ。
まだ今はピッチピチかもしれんけど、あと7年もすれば子供も小学生、そして散々ジジィジジィ言ってた30代。
そしたら10年越しのお返しをしてあげよう。声を大にして〇〇ァと言ったろう。
俺なりの、感謝と愛を込めて。