杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

一つあればどうなる

目が二つ

耳が二つ

鼻の穴が二つ

 

顔だけでこれだけある。

一つ正常に機能していれば、煩わしく感じながらも誰かと同じように感覚を共有できる。

 

右側の耳が機能しなくなった時、どこから音がしているのかわからなかった。ぐるりと周りを見渡し、その音の出所を確認してきた。

何かと不便だなぁと感じる場面がありつつも、生活をしていた。

手術でもすれば治って快適になるんだろうけど、何でこうなったかを考えてみた。前向きな思考で。

 

右からも左からも陰口、ため息、悲しいニュースが聞こえてくると、フラットな状態でも気分が落ち込んでくる。でも今ならそれが半減されてる。

全てを聞き取れない事より、要らない情報が聞こえない方が自分にとってストレスってやつが減るんじゃないかって思った。だから治療しないままで良いと思ってて、今後も受診する気は無い。今のところは。

 

最近になって気付いたのは、少しモワモワとしながらも音が聞こえるようになってる。自然治癒というのかわからないけど、前より聞こえるようになってる。

いつか電話でやり取りできるくらいまでになるのか、それとも今のままか、悪化して元通りになるのか、どうなるかは自然に任せるつもりだ。

 

何もかもがどうでもいいっていう思考じゃ無いけど、ある日もし片腕がポロリともげてしまっても、悲観的にはならない気がする。そうなったのには意味があるんじゃないかって考えると思う。それに、まだ片方あるんだから可哀想とか言うのやめてーって笑ってると思う。

 

いつもと逆、鏡にいる自分になって一日過ごしてみるのって面白い。ものすごく疲れるけど、色んな事に気付く。当たり前で普通ってすごい事、そう思える。

 

 

二つある意味、それは物事の選択と共通してる。

選んでも選ばなかった方を補助的に使える物事もある。もちろん、切り捨てる事もある。時と場合によるとしかできない、この曖昧さ、これなんだよな。スッキリハッキリできないのは。

 

 

考えても考えても、奥が深い。