杉浦 剛の記事

感情を文字に、言葉に表情を。

言わせてもらおう

メイドインジャパン

それがどうした

 

メイドインチャイナ

それがなんだ

 

日本は成長を止めた

中国は常に挑戦してる

 

だからコピー商品を作りまくる

盗んだんじゃなく

真似をして試行錯誤してるだけ

 

良いところは見習えと教える日本の教育

矛盾してないか

海外で事故が起きると決まって日本人の安否なんちゃら言ってる

どの国の人間も同じ人間

矛盾してないか

日本人だけ助かって他の国の人間がどうなろうが構わないようなニュース

人種差別

 

 

当たり前の恐ろしさ

当たり前のありがたさ

そんなの当然でしょって

通用するのはその国内だけ

 

まだ今は貧しい発展途上国の方が

不便であっても輝きで溢れている

もっとを追求する姿勢

今の日本には欠けている

 

菅総理は散々叩かれて次は出馬もしない

当たり前

その気持ちは汲み取れる

責任の擦り付け合いには嫌気も差すさ

通信会社にメスを入れてNHKにもメスを入れて有言実行した

国民の数千円数百円の負担を真っ先に考えて政策に取り掛かれる政治家なんて他にいない

エリート育ちには到底わからない視点から政策を行ってきた矢先にこのコロナウイルスの蔓延

想定外の状況にここぞとばかりに集中砲火を浴びたら戦意も喪失する

誰でもそうなる

飲食観光業は明らかに国からの援助が必要

別業種では需要増で過去一儲けてる

これらを平等にする事は今の国の体制じゃ対応不可能

支援金を捻出して早急に援助するには議員、公務員の収入源である税金が必要不可欠

でもそこは現状維持でじゃ、どうもこうもない

だから何をするにも後手後手

起きてから対策じゃ遅いんだよ

今、誰が総理になっても今の日本は変わらない

国民にはコロナ対策を全面アピールしておいて、経済政策を第一に考えるのが分かりきってる

ワクチン普及で感染しても無症状の人が増えれば検査も受けない

そうすれば感染者数の数字は減る

こうする事で抑制できたと言いたいだけなんだろう

 

国民の今一番の不安は何か

それを汲み取れる人間が発言と行動をするべき

菅総理はコロナ対策へ専念する意向

それで良いと思う

地道に努力できる人間が縁の下にいるのが今の日本には必要

今でも国民目線である事、国民をしっかり意識してる事が分かる

否定、非難、言いたい放題の国の組織集団

それらの薄っぺらい発言に洗脳される国民達

総理大臣より野次馬議員の方が倍近い税金高収入なんだよ

俺らの税金はそいつらの報酬報酬で消費されてるんだよ

 

何も知らない国民は

〜らしいとか言うばかり

真実を自分で直接確かめようともしない

それができない歳ばかりの大人が我が物顔で生きてる

コロナより厄介な動く伝染病原菌

騒ぐだけ騒いで最後は誰かのせい

 

しっかり考えられる人間は年齢関係無くいる

俺よりずっと若くても、俺よりずっと勉強して本質を知ろうと日々葛藤してる人間がたくさんいる

例え一握りでも、尊敬できる人間がいる事で救われてる

俺自身ももっと学びたいと思わせてくれる

お互いを高め合える人間としか関わりたくない

社会に出れば関わらざるを得ない状況になるけど

一刀両断

役職や権力なんてその場だけのもの

会社の外に一歩出たらただの人間

相手が社長であっても理不尽な事を言ってれば俺は言葉で刃向かってクビにもなってきた

それを間違いだと思ってない

人間として意見した結果

従わないなら要らない

別にそれで構わない

世界は広い

井の中の蛙を相手にしたって得るものは無い

職くらい失って上等

同じ視点で同じ疑問を持ちそれを解決しようとできる人間としかまともに会話なんてできない

ゴマスリイエスマンとは死んでも解り合えなくて良い

歩み寄ろうとすれば寄るなと蹴散らそうとするから

毛嫌いされて一人になる時もある

それでも良い

自分の中で消化できないものはできない

それをそのままにしておきたく無いから

常に疑問を持って生きているのは容易では無い

無理にでも妥協して納得してしまえば楽になる

それはわかってる

それができない人間だから

孤独にもなる

 

嘆いてるだけじゃ

何も変えられない

運に任せるほど無力じゃない

まだ生きて動けてるのだから

 

信じれば裏切られる

これを何度繰り返しても

また信じようとする

もう誰も信じないと諦めてしまえば

妥協で腐った人間の仲間入り

悩んでいつも苦しい道を選んでるのは自分

それでもまたいつか

誰かを信じようとするんだろう

信用が生まれるのが先か

孤独のまま死ぬのが先か

わからないけど

単純でいられる居場所をまた探す

 

人生なんて一度きり

生き様も死に様も一度きり

だから死ぬまでは生きる

面白くない長生きなんかクソくらえだ

寝て起きかけて寝て起きかけて寝て起きた

睡眠を強制的に続けた。

自分の中にある邪気を払拭したくて。シンプルに戻りたくて。

 

 

夢の続きは見られないって言うけど、ハッキリ覚えてる夢ならなんぼでも続けて見れる。

 

色んな夢を見た。

普段の場面、別世界の場面、もはや人間じゃない場面、どんどん忘れてくから今のうちに文字にしておく。思い出せる範囲で。

 

 

しょうもない夢の話さ。

 

普段の場面

どこかわからないマンションの大部屋に格安で引っ越してきた。

その建物のすぐ側には、オウム真理教の本部があった。そこの教徒に早速目を付けられ、このマンション自体を爆破する予定だと脅迫された。

爆破しない条件として全室の窓際から見える位置、それもベッドにテープのようなものを貼れと言われ、事情を話してマスターキーを借り全室に貼った。

窓際からチェックして歩く教徒の後ろを歩きながら隙を伺っていた。なぜか俺は餅つきに使うようなハンマーを隠し持っていた。

全ての確認が終わり外へ出た瞬間、思いっ切りそれを頭頂部に振り下ろした。頭部は肩のあたりまで陥没して、しばらくうめいていたが死んだ。所詮人間。終わったかと思ったら仲間が数人やってきた。そいつらも同じく頭頂部、側頭部めがけて思いっ切りやった。

処理は近くにあった誰も立ち入った形跡の無い湿地の沼に引きずってって棄てた。

何の罪悪感も無く、血まみれのハンマーを持ってマンションに戻ると、住人と管理人が喜んでいた。みんな困っていたんだと。俺のように意味不明な指示をされて脅される、断って逃げれば付きまとわれる、日常生活の一部の写真を持っていて、常に監視されていると陥り、生きた心地がしないと警察に相談に何度出向いても見回りの徹底をすると言うばかりで一度も調査無し。

こんな血まみれになってる俺は十分に警察沙汰だと思うけど、そこは夢の話、ここまででこの話は完結した。

 

 

別世界の場面

運良くドラゴンボールの世界だった。

クリリンの頭は五厘刈り坊主だった。悟空は既に大人になっていて、とんでもない量のメシを食っていた。修行だとクリリンの後ろを付いていくので精一杯で、すぐに音を上げた。そんなんじゃ天下一武道会に出られないぞぉと、食べまくる悟空に笑われた。

もう一度とクリリンに頼み込み特訓をしてるうち、腹が減った。普段食べれないような肉や油ものも全部食べられた。けどおめぇそれで足りんのかって悟空に言われた。

クリリン気円斬を教わろうとしたら、かめはめ波の方が良いだろって悟空直々に型と気の入れ方のタイミングを教わった。もう忘れたけど。それでも両手から熱を感じて光った。メシが足りねぇんだって笑われて、それでも何かを得られた感覚は覚えてる。

対面でパンチキックの特訓、思ったよりも見えた。防御も手加減されてたとはいえ、まともには食らわなかった。

まず腹ごしらえをして、対面になったら足を引っ掛けて倒して、そこにかめはめ波モドキを打ち込めばダメージを与えられると教わった。あとは掴んででも蹴ってでも場外に出せば勝ちだと。

舞空術は何度やってもできなかった。でも瞬間移動は一回でできた。ハチャメチャな別世界の夢だったけど、何かを得た気がした。

 

 

人間じゃない場面

プラナリアという水棲生物の一種、正式名称はわからないけど南米プラナリアと呼ばれてる生物になっていた。たまに水槽のガラス面をニョロニョロ動いてる、1mmあるかないかのちょっと気持ち悪い線虫。

とにかくエビがデカい。水草が大きな木みたい。タニシが恐竜みたい。俺はソイルの中に住んでたけど、誰かが水草を引っこ抜きまくったお陰で水中を漂ってガラス面に着地してしまった。光景は、まるで島のよう。幸い魚はいないようで、食べられる事は無さそうだったから、水面近くまでよじ登って水中から水中を眺めていた。同じ生物もちらほらいて、よくよく観察してたら分裂して一匹が二匹になった。それぞれ別方向に去っていったけど、こうやって増えてくものなのか俺も。そうだとしたら、簡単にクローンを作れて、さらにそれらがまた分裂していけば…等、色んな事を考えた。でもこの今の意識はどうなるのだろうとか。まさか分裂した方でも同じ意識であるなら、気疲れしてしまうと思って、分裂する事はしなかった。

エビが空を飛んでる。タニシが下から這い上がってくる。

早く真っ暗いソイルの中に戻らなきゃとガラス面を急いでニョロニョロ退散。

間近で見たエビ、頭に白いモヤモヤしたのがついて水カビに侵されてたり、触覚の付け根に何やらまたニョロニョロした白い別な生物がウニョウニョしてて、あれは寄生虫だってすぐにわかった。あんまり気にしてなかったけど、エビツノヤドリムシっていう、だいたいエビには付きものの寄生虫だけど、間近で見たらめちゃくちゃ気持ち悪いと思った。

そんな自分も、南米プラナリアとかいうニョロニョロした生物。表情には出せないけどフッと笑ってソイルに潜り込んで暗闇の中。水中で暮らした夢、全く華の無い嫌われ者の分解者だったけど、水中にいられた事が嬉しかった。どうやって呼吸してたのか、そこまで知っておきたかった。

 

 

最後に見た夢

一瞬。

微かに覚えてる。人対人、俺は人で、人と話してた。無音の空間。何を話したかも、何を聞いたかもわからない。その時の気持ちもわからない。その場面だけ、一枚の写真のように覚えてる。場所もわからない。

何がどうなって会ってたのかもわからない。お互いの事は知ってるけど、近況も全然わからない。もちろん連絡先も知らない。

 

最後の最後に、一瞬の不思議。

 

何時間寝た?35〜6時間か?

700時間くらい寝てやりたい。

沈黙 -サイレンヌ-

13:00

昼休憩が終わり作業再開だ。

 

 

そんな頃もあったっけ。

もうそのような事は無いのかもしれない。

俺は今、堂々と布団に横になり堂々と寝るつもりだ。

 

皆が頑張っている時に俺は一体…

なんて思っていた。存在=罪悪感だった。

 

そんな俺は今、堂々と寝ようとしている。

 

今朝も言われた。でも俺は入院したくない。

どうしても入院だけはしたくない。

他の科の受診もしたくない。

ワクチンも打ちたくない。

重症化しても死んでも自業自得でいい。

 

もう10年近く経つだろうか、睡眠という当たり前の事と闘ってきた。

一週間くらいなら寝なくても全然平気。眠くもならない。だから余裕。

それが数々の問題の原因だって知るまでは。

 

睡眠が最大の治療であって、最大の難関でもあって、いつからか意識はどうにかしてでも寝なければならないに変わって、それがまた日常生活をややこしくした。

 

眠れないまま仕事に向かう。

意識が変わる前まで別に平気だったはずなのに、意識が変わってからは何か大きなミスをやらかすんじゃないか、とか余計な不安を抱くようになった。

 

一週間平気だったくせに、急に一晩で不安になってる自分にも嫌気が差してきて、寝不足と呼ぶのであろう自分に勝手に苛ついて、結果大きなミスをする。

それを何度も繰り返してくうち、自信もカネも失い、車も事故で2台廃車にした。また自信とカネを失い、やっぱり存在=罪悪感となった。

 

明らかな悪循環、わかっていても抜け出せない負のループ。

どうにかしなければと思えば思う程、重圧で深みにハマっていった。

まさに自損。

 

打ち明ければヤベー奴。

深入りすればヤベー奴。

今でも色々、ヤベー奴。

それでも生きてる以上、極力周りの迷惑にならないよう、思考がしっかりしてる時はとにかく何か役に立てるよう、自分を観察しながら生きてる。

 

今、眠くは無い。けど朝から少し疲れてしまって横になったら、眠れる気がしたから、寝てみようと思う。生活リズムも大事、栄養も大事、でも自分の一番大きな問題は睡眠。

これを今できたら、何時に目が覚めても安心になると思う。

 

だから、今頃みんな仕事を頑張ってるのに申し訳無いと考える事を一旦やめてみる。

健康で万全ならとっくに就労許可も出ているはず。そうでないって事は、寝ろって事だと解釈して、睡眠に専念する。寝れたら良いなくらいの少しお気楽な感じで。じゃなきゃ強迫観念でまた自虐的になってしまう。

 

たまには夢を見てみたい。ドラゴンボールの世界でクリリンと仲良くなって気円斬を教えてもらいたいな。

 

平穏な自分、まだ消えちゃいないって思いた い。誰かの痛みを自分の事と考えて理解しようとできる人間でいたい。

 

おやすみなさい。

 

バナーヌ

一段一段、階段を昇り、視界が開けた時、一番最初に何が見えるかな。

 

見るんじゃなく、見えたもの。

 

たまたまか?

 

そんな意図しない偶然は、誰にでもある事。

それはたまたま。稀な事。

 

 

それが毎回起きて、エッ!?

ってなるこれまでに無い超常的現象。

 

 

 

最後のピースが吸い込まれていった。

 

光った。水晶みたいに。

俺はちまちました段取り作業の方が向いてるのかな。

 

純粋よ、堂々と光れ。

 

邪気の無い宝物。

 

 

 

バナーヌバナーヌプリンプリン

 

そう唱えればいつだって現れるさ。死にかけた妖精。

 

 

苦しい嘘じゃ誰も笑えやしない。

堂々と生きる。

じゃなきゃ俺、生き直してる意味が無い。

 

 

103回目の甲子園

たくさんのごめんなさい

たくさんのありがとう

 

ほとんどごめんなさいだとしても、その裏にありがとうが有るか無いかで

全然意味が違ってくる

 

 

 

今日は甲子園の決勝戦だった

智弁智弁の2校が勝ち残った

そして勝ち負けが決まり大会は終わった

 

この2校の決勝進出が決まるまでに

たくさんの喜怒哀楽のリアル

練習を死ぬ気で重ねてきた選手達にも結果は残酷だったりした

それでも一日でも長く

一試合でも多く

そう願い夢の舞台で全力と全力がぶつかる毎に

喜びと悔しさが自分にも伝わってきて感じられた

緻密に計算されて仕組まれた感動的なものよりずっと

感情を動かされた

紛れもなく生モノ

 

 

小学生、中学生の頃はひたすら憧れてた

高校生になって部活をクビになっても憧れてた

社会の腐った仕組みに心が荒んでも

衝き動かされてまた頑張りたいって思える

 

 

試合をする以上

勝ち負けはある

そういう決まり

結果は数字に表れる

でもそれが全てじゃないって

最後まで諦めない事の大切さを

いつも教えてくれる

これからも甲子園で試合をする選手達との年齢は離れていく一方だけど

いくつになってもこの、夏の甲子園というもの

この時ばかりは選手達と同じ目線で、同じ緊張感になれる

 

 

いつか、大人になった時

土と芝生の上で汗を流した事を思い出す日が来る

どんな進路であったとしても

 

そして単調な毎日の繰り返しがやってきた時

時間に追われながら時計を気にして早足で歩く自分に嫌気が差すかもしれない

 

あの頃に戻りたいと思うかもしれない

あの頃はあの頃だと割り切れるかもしれない

新しい居場所の仲間とまた笑い合えたり

孤独の本当の意味を知ってしまったり

 

どうなるかわからないんだ人生は

 

勝つ事が全て

良い結果を出す事が全て

自分はそう思わない

数字と結果が全てと言い切る人間にはならない

最底辺のゴミクズと思われようが

生きてる限り貫いていたい

 

 

練習でできてた事が本番でできなかったら

ものすごく後悔をする

でも気落ちしてばかりではいけない

体調、気分、勢い、見えない要素が絡み合って結果に表れる

勝ち負けも同じ

もし負けたのは自分のせいだと思ったのなら

そう思えた自分をいつか許せる時が一日も早く来ますように

そしてできればいつか、褒めてあげられる時が来ますように

 

個人の実力、チーム全体の実力差をひっくり返す可能性もまた実力の一つ

負けたら終わりの一発勝負でも

そこで負けたからって人生の全てが終わるわけじゃない

悔し涙が溢れてきても

その後悔した瞬間を忘れない事

同じ事を繰り返さないよう心に刻む事

この先の人生でいつか苦難が訪れた時

それが問題を解決に導く大きな力になる

時間は必要だけど

 

 

気をしっかり持つ

そう心掛けていても一人ではどうしようもなくなる時がやってくるかもしれない

もし頼れる存在がいたなら

一人ではどうしようもない望みを託して

自分がやれる最大限を確実にやる意識

失敗しても良い

それは成功の元

自分の最大限を確実にやり切る事だけ

それでも失敗ばかり続いたら落ち込んでしまう

でも考え方を変えれば、成功の元をたくさん得られてるという事でもある

落ち込んでる時にそう思う事は難しいんだけど

最大限やっていても結果を出せない時が続いたら

自分を遠くから客観視すると少し

冷静になれる

 

 

高校生は10代、世間一般的に若者と呼ばれる

それは確かだけど

どれだけ年齢が離れていても

尊敬の念は今も変わらない

小学生の頃と何も変わらない

そこらのあんちゃん

ねえちゃん

おっさん

おばさん

じいさん

ばあさん

誰しも10代を経験してきてる

何かしら疑問や葛藤、納得いかない思いをしてきたはずなんだ

皆が皆、そうであって欲しいけど

それらを諦めて、慣れて、忘れて

若いから良いよねとか

若い頃は良かったとか

それでいて

世の中そんなに甘く無いからとか

いつまで夢みてるんだとか

 

平気で言葉にする大人

捨てゼリフみたいにさ

自分はそう言われてきて嫌な気持ちにしかならなかった

やれたはずの事をやらなかった大人達の嘆きボヤき

返す言葉が無いような話を聞かされる度

愛想笑いをしてきた

うんざりしてきた

 

こんな大人にはなりたくないって思うばかり

やってもないのに

やろうともしてこなかったのに

これからやろうとしてる事を最初から否定、偉そうに説教を始める

心底うんざりするから

いつからか愛想笑いをやめた

 

 

今、目に見えないウイルスの蔓延した厳しい状況の中で

目の前の事に全力で取り組む一人一人の呼吸に

たくさんの力をもらった

多かれ少なかれ、自分はその中の一人

もうあんちゃんからおっさんになる年齢なのかもしれないけど

まだまだ学びたい事がたくさんある

知りたい事がたくさんある

 

 

人生はドラマだって10代の頃に教えてもらった

理解するのに年月がかかったけど、今、自分なりに解釈してる

 

動いたら何か起きるかもしれない

動かなくても何か起きるかもしれない

動いたら何か起こせるかもしれない

どれもドラマ

 

ただ一つ

動かなくても何か起こせるかもしれない

これだけは有り得無い

理想を語っても行動しなきゃ夢物語のまま

 

だから人生は

面白くもなる

つまらなくもなる

つまらないを面白いに変えられる

動くか動かないかは自由

それを選ぶのは自分

動かなければ何も起こせない

そして動かないで起きる事は大体つまらない事

だから動く事を自分は選んでる

悩んだ時はいつもそう

やってみての失敗と

やらなかった後悔を元に

結果は同じでも

起きるか起こすかでも大きな違い

得たものの重み

 

人生は一度きり

断捨離はツラい

大袈裟じゃ無く

死ぬほどわかってる

 

どんだけ思い入れの強い物や人であれ

自分から手放す苦悩

そういった状況を作るのはいつも自分だから

無心になって

物は捨てる燃やす粉々にして

人は一生涯視界に入れないと決めて

 

この先の人生において

必要か不要かの二択で

最小限にする

 

そしたらあっけないくらい

少なくて

1からなんだなと果てしない現実を知る

もう燃えた物を思い出して

気持ちは落ち込み

消したい人を思い出して

声にならず藻掻く

 

一日や二日ではどうしようもできず

気力だけが失われていく

セミの抜け殻のように

布団にしがみついて

意識はどこかへ行ってしまう

 

体重計に乗れば

しっかり中身があると確認できるが

また布団に戻り崩れ込む

ここで考え事をしちゃいけない

なんでこんな状態なのか考えちゃいけない

いつか覚えた無の状態

意識は勝手にどこかへ行ってしまう

暑いからじゃない

 

夏は何も悪くない

 

このまま視野も心も狭くなる一方だって

確信的に感じている

意識を変える術は

考えてみてもいつも同じ答えになる

 

動けないでいると

動けなくなる

 

動かないでいると

動こうとしなくなる

それは嫌

 

動けるうちに

動いて探せよ

自分

急がば回れ

生き急いだ結果がこうだから、生き急ぐべきでは無いと少し自信を持って発言できる

 

逃げ道無しで突撃したら、後悔した

全てを賭ければ逃げ道など、汚いやり方しなくて良いと思った

それでもどうしようも無い状況にもなると知った

 

安心して溜め息を吐いて呼吸していられる空間

この一つだけで良いから確保してないと、自分の思考とは思えない行動をしたり、勢い任せでもう後には引けないと勝手に錯覚して、ろくな結果にはならなかった

得るものもあったけど、失ったものの方が大半

それらを取り戻すにはあと何年かかるのか、この先もう取り戻せないのか、そんな憂鬱に襲われては

自問自答しては自己嫌悪の繰り返し

 

答えはわからない

それが面白いのかもしれない

けど面白いって域に達する前に

くたばってしまう

何かが足りてない

このままではいけない

 

そう思った

逃げ道など必要無いっていう自分で作り出した無駄な縛り

勝手な自分ルールで自分の首が皮一枚になった時

思い知った

 

ケースバイケース、頭やわらかく、何が起きても許容、対処できるようでいる大切さ

本質は真っ直ぐ、問題は都度解決していく

本質を守ったっていう小さな自信を重ねていけば

どんな場面に遭遇しても揺らいだりしない

何事も土台ありき

未知に突っ込む事、体験値、経験値は高いがリスクも高い

こんなはずでは

などでは到底済まない状況にもなる

浅はかな自分を責め続けるしか無かった

 

浮かんでは逃げていくものを掴もうとして

それだけ見ながら追い掛けて

足の着かない地の切れ目まで来たら人は

 

落下するだけ

飛べないから人は

地に着いた瞬間の衝撃も知らない

だから最小限のダメージで済む体勢もわからない

地に落ちる前にその理想的な体勢になれる余裕も無い

 

ずっとフワフワ浮いたものを見つめながら来たもんだから

これから衝撃を受ける下の地が草っぱなのかコンクリートなのかもわからず

 

数秒後にはその時が来て

たまたまコンクリートだったけど

たまたま生きて

生温い液体を流しながら

途方に暮れた満月の夜

全て面倒になってそこで眠った

生きるか死ぬかなんてその時は考えてない

生きてるのか死んじゃったのかもわからない

 

今になって思い返してみても

あの時は確かに

どっちでも良かった

もう少しで掴まえられたのにって

頭ん中そればっかりだった

 

朝が来て恐くなった

浮かんでたものもどこかに行ってしまって

ずーっと透き通った川を眺めてた

また夜が来ても平気

今度こそは掴んでみせると

痛みの一つ感じず

平然としている自分に

絶望が広がった